2014年8月22日金曜日

 【朝日俳壇鑑賞】 時壇  ~登頂回望その二十八、二十九~ 網野月を

(朝日俳壇平成26年8月10日から)

◆蝉時雨やんで一村軽くなる (岡山市)岩崎正子

大串章と稲畑汀子の共選である。汀子の評には「一句目。蝉時雨が止んで一村が鎮まり返った。その瞬間を軽くなったと表現したのは作者の感性。」と記されている。評の通り「軽くなる」が素晴らしい感性であり、掲句の中心となる表現である。「軽くなる」を言うための環境として、その範囲が「一村」という広さである。蝉時雨は一定範囲の空間でふっと止むことがある。掲句の設定した空間が「一村」なのである。境内とか谷間ではなくてより広範囲を指示した表現だ。突然の雨か?突風か?蝉時雨が止んでしまった。蝉時雨が止むとそれまでの蝉時雨の喧しさが嘘のように静寂が支配する。やがて一匹また一匹と鳴き始めるのだ。

その静寂に対して蝉時雨の音量がピークの時は重さ感じるのだろうか?多分そうではないだろう。日本人の聴覚は、蝉時雨を重く感じたり嫌な重圧を感じたりしないように出来ていると筆者は思う。蝉時雨は止んで初めて「あっ、蝉時雨だったね!?」という感覚になるのだろう。その感覚を「軽くなる」という感性で把握したのである。

◆崩れないやうに崩してかき氷 (伊勢原市)伊東法子

稲畑汀子の選である。言葉遊びのような句である。パラドクスを上手く使って表現しているのだ。「かき氷」の形態を表現して妙である。「かるみ」のある句意であり、清涼感を演出して涼気を招いている。

◆山国の夜空のいろや茄子漬 (宇陀市)前尾清子

長谷川櫂の選である。選者の評には「三席。茄子漬けのみずみずしさ。あれは夜空の色だった。」と記されている。広大な「夜空」と手許の「茄子漬」のコントラストの効いた構図の中に色彩という共通項を見付け出して作句している。句作の王道の一つであろうが、その型の効果を十二分に引き出している。「夜空」と「茄子漬」の取り合わせの意外性が成功を導き出しているからだろう。

(朝日俳壇平成26年8月18日から)

◆昼寝して余命を減らしをりにけり (熊本市)永野由美子

稲畑汀子の選である。選評には「一句目。人間は元気に生きて行くために睡眠を取り、夏の暑さに耐えるために昼寝をする。昼寝を余命を減らすと考える作者の事情が悲しい。」と記されている。
座五の「をりにけり」の少々オーバーな表現が面白い。その延長で解すれば掲句は滑稽句までは行かなくとも諧謔句なのではないだろうか?時間は人間にとって有限の資源であるから、昼寝に拠ってその有限の資源である余命を減らしているというのである。選評は睡眠と昼寝の機能を別物と考えていて、暑さに耐えるために余命を減らす、と解している。が昼寝も睡眠に属するものではないのか。昼寝という行為に拠って余命を減らしている作者は「昼寝」に何らかの愛着があるのではないだろうか?筆者はそう想像した。決して無駄に過ごしているのではないのだ、と。掲句は「減らし」と言っていて、実は肯定表現なのだと解したい。

◆桃を捥ぐのみの七月終りけり (笛吹市)武藤ゆき

長谷川櫂の選である。選者の評には「二席。甲州であるから、桃農家の人だろうか。こういう七月もある。」と記されている。

一気に読み切ればよいだろうか?敢えて間を取るとすれば中七と座五の間であろうと考える。それにしても「七月」と座五「終りけり」は主語述語の関係であって意味的には切れが無い。農作業に追われて瞬く間に過ぎて行く七月であるから、一気に読み切った方が句意が伝わるかも知れない。




【執筆者紹介】

  • 網野月を(あみの・つきを)
1960年与野市生まれ。

1983年学習院俳句会入会・同年「水明」入会・1997年「水明」同人・1998年現代俳句協会会員(現在研修部会委員)。

成瀬正俊、京極高忠、山本紫黄各氏に師事。

2009年季音賞(所属結社「水明」の賞)受賞。

現在「水明」「面」「鳥羽谷」所属。「Haiquology」代表。




(「朝日俳壇」の記事閲覧は有料コンテンツとなります。)




0 件のコメント:

コメントを投稿