昨夜、友人のダンスを見た。
この季節になると、この友人はモナコの大聖堂でダンスを踊る。私はそれを、別のモナコ系の友人と連れ出つて、毎年のこのこ見にゆくのである。
クルマを降りると、夜のモナコは煙のやうな小雨だつた。開演まで少し時間があつたので、私たちは城の広場で待つことにした。
人の気配がない。見回してみると、観光客が数組。私たちは丁度高台になつてゐる広場の端から、町と海を眺めた。
「なんだかさみしいね」
「うん」
「雨のモナコつて、いつもこんな感じ?」
「さうだね。特に夜は」
一緒に来た友人はさう答へながら、向かうの谷や、すぐ真下の住宅街を指差して、うちの家族はあの谷に十四世紀から住んでるんだよ、とか、あ、あそこ私の生まれた病院だ、とか教へてくれる。
「へえ。さういへば、シャルレーヌ妃がご懐妊だよね? モナコの人たち、喜んでるんぢやない?」
私がこんな世間話を口にすると、友人は少し思案するやうな顔つきになり、
「んん」
と唸つた。一般に、モナコ人の王室に対する心情は、さう単純ではないもののやうである。私はその事を思ひ出し、すぐこの話を引つ込めた。
もうすぐダンスの開演時間だ。私たちは大聖堂へ移動することにする。歩き出すとき、友人が、言つた。
「みんな、グレース・ケリーのこと、ずつと忘れてないんだよ。彼女がお嫁に来る前の晩も、とても静かで寂しい雨が降つてゐた。雨の広場にくると、わたし、今でもその夜の事を思ひ出すんだ」
とんだ雨なり婚礼の羅を穿ち
夏雲を追ひたて盲目の姉妹
睡蓮のねぐらよ壺をかくまふは
茂り男が庭に掻きつづける楽碑
空虚五度鳴りわうごんの祭かな
リュートただよへり水母の日記のごと
没年はありや幾多の箱庭に
まくなぎはけむりと返しさし枕ける
果てしなき流れの果てのまくはうり
ゆきなさい海星に生まれたのだから
【作者略歴】
- 小津夜景(おづ・やけい)
1973生れ。無所属。
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