2014年6月6日金曜日

我が時代――戦後俳句の私的風景 2. / 筑紫磐井


②第2回特集

私の手元にある、48年5月「特集・青年作家競詠」には、上谷昌憲・大関靖博・大谷純一・大屋達治・梶谷佳津雄・茅場康雄・木村偉朔・酒井昌弘・四方幹雄・首藤勝二・陶山敏美・関ミエ・千賀潔子・十時海彦・中台政雄・能村研三・波戸岡旭・平沼薫洋・堀江棋一郎・森岡正作という顔ぶれが参加している。私も正木ゆう子もまだ参加していない。

その後すべてを追跡しているわけではないが、知りうる限りをあげれば、上谷昌憲(「沖」同人。俳人協会「俳句文学館」編集長)・大関靖博(「轍」主宰)・大屋達治(「天為」同人)・関ミエ(「沖」同人)・首藤勝二(「梟」同人)・十時海彦(「天為」同人。文部科学省で文化庁長官を勤める)・能村研三(「沖」主宰)・波戸岡旭(「天頂」主宰)・森岡正作(「出航」主宰)であるから、半分にも及ばない。若い人が永続しないというのは実感であったろう。

この特集は、「沖」同人今瀬剛一が「青年作家競詠を評す」で批評しているが、以下私の判断で、特に戦後生まれ以後の作家と作品を取り上げてみる、したがって20代前半の句である。ちなみに()の数字はその年の年齢である。

大関靖博(25歳)
ほむらなす薔薇の芽吹きや謝肉祭
水の裏光りみなぎり蝌蚪跳ぬる
菜の花を照らす満月病むごとし
 
大屋達治(21歳)
霧来れば潮騒のごと竹さやぐ
竹がつなぐ冬青空と黒き土と
柿落ちて死肉のごとき紅をさらす
門のみが兜のごとくのこり冬
紙漉村の川直角に二度曲がる
 
梶谷佳津雄(22歳)
雲行きて春田にもどる空の青
友去りて身ぬち穴あく卒業期
口ひたにあけて声なき卒業歌
 
茅場康雄(24歳)
冬の水ひそめるものの波立ちぬ
春燈下パセリを夢のごとく盛り
冬樅の一隅いつも日にかげり
 
木村偉朔(19歳)
伸びし毛を梳く手に風邪の光るなり
きらきらと光たづさふ幼な蝶
はぢらひを秘めて降りたる春の雪
 
四方幹雄(26歳)
石仏の伏目にまとふ東風くらし
野仏に片ゑくぼあり遠霞
眠る地を揺さぶり起こす雪解滝
渓流のおもては澄みて花曇
陶山敏美(24歳)未完成の大器
歳月の棒一本の大根懸
ぶらんこの一瞬のぶれ大きくなる
 
千賀潔子(25歳)
瓦打つまで白箭の春あられ
あをぞらに辛夷を捧げ卒業歌
鈴懸の花下に道折れ工学部
 
十時海彦(24歳)
わだつみの紺にはじかれ蝶高し
花吹雪して一村を遠くしぬ
たんぽぽや銀河へ続く単線路
空濡れてゐたのか凧のしめりがち
咲きみちてこぼれんとする花の音
 
能村研三(23歳)
春雷に標本の蝶目覚めをり
下萌ゆる中に老朽昆虫館
野蒜摘む地の脈動を知りし手に
 
堀江棋一郎(24歳)
鵙高音うしなひ易き日を呼びて
ころがして団栗寒くなる茜
夕映や枯れ木の瘤は未知のもの
春星や素顔に戻る石舞台
 
森岡正作(24歳)
杣の唄芽吹けるもののみな急かる
足音の地の湿りもつ山椿
野火消してやや湿り帯ぶ夕茜
若草に転び虚空に翼得し

これらを眺めると一様の特徴が浮かび上がる。写実ではない、空想やイメージで作られている句が多い。さらに類型化すると、擬人法となってくるのである。「ほむらなす(薔薇)」「(水の裏)光りみなぎり」「(満月)病むごとし」「(竹が)つなぐ」「(春田に)もどる空の青」「身ぬち穴あく」「(冬の水)ひそめるもの」「光たづさふ」「はぢらひを秘めて」「伏目にまとふ」「東風くらし」「(野仏に)片ゑくぼあり」「(眠る地を)揺さぶり起こす」「白箭の春あられ」「紺にはじかれ」「銀河へ続く」「空濡れてゐたのか/凧のしめり」「標本の蝶目覚め」「地の脈動」「うしなひ易き日」「瘤は未知のもの」「素顔に戻る(石舞台)」「(芽吹けるものの)みな急かる」「(足音の地の)湿りもつ」「湿り帯ぶ(夕茜)」「虚空に翼得し」。

また、直喩が多いのも特徴である。「潮騒のごと」「死肉のごとき」「兜のごとく」「夢のごとく」。これが現代俳句と思われたものの一つの正体であった。現代俳句とは技法であり、切字や切れのないのが特徴的である。

いつからこうした作風が始まったものかはよく分からない。もちろん、能村登四郎や林翔の作品の中にもあった傾向だが、むしろ、登四郎や翔の周辺にいた作家、坂巻純子、鈴木鷹夫、今瀬剛一などの独特のスタイルに影響を受けたか、または二十代作家自らで工夫しながらこうした作風を提示し、登四郎の選を受けていったというところであろう。こうして共感的作風が生まれてくるのである。それは決して「うまい俳句」「いい俳句」という基準ではなかったはずだ。

だから、面白いのは現代の若手作家と違い、表現技法や用語の選択が、沖二十代作家の中で相互に模倣され、練磨されていったことである。これはその前、能村登四郎がまだ藤田湘子らと競い合っていた昭和二十五年ごろの「馬酔木」でもそうであった。こうした意識の共同の有無が決定的に違うのではないかと思っている。すなわち、集団は習得する場という意識が多少ともあり、自分の作品が絶対的に優れていると思っている現在の若手の意識(これが現代の若手の結社離れにつながるのであるが)とはかなり違っているように思うのである。

こうした沖の若手の中では、十時海彦が一番期待されていたようである。このとき、今瀬は、大屋達治には「一番若者らしさを感じた」と激賞したものの、能村研三には「若者らしい大胆さを心がけてほしい」、十時海彦には「従前ほどの知性のひらめき、乾いた叙情が感じられない」と評している。しかし、十時海彦は逆に言えば、それほど従前の作品が脚光を浴びていたということだ。いずれそれを紹介したいと思うが、今回の作品でも、

花吹雪して一村を遠くしぬ

などは、この時代の沖青年作家を代表する句といってよいであろう。共感性の高い作品であったと思う。

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