2014年6月13日金曜日

【西村麒麟『鶉』を読む25】 幽霊飴 / 中山奈々


麒麟さんちの最寄り駅には燕の巣がある。毎年必ず燕が来て口をぱくぱくさせたひなと餌を持ってしゅいーんと滑降してくる親鳥とが見れるという。

麒麟さんからそういう話を聞いたり、奥さんのA子さんがFacebookにアップする写真を見ると、つくづく麒麟さんちそのまんまだと思うのだ。もちろんぱくぱくは麒麟さん。しゅいーんはA子さん。そこにきて、句集にはこんな句がある。やはりぱくぱく。

端居して幽霊飴をまた貰ふ   麒麟

これは京都での作。千年もの間、都だったこの街は、繁栄も荒廃も経験している。恨みつらみ。百鬼夜行。そういうのが現れるのは必然なのだが、目に映るのは繁栄の綺麗なところだけだ。目に映らないから、そういうのは妖怪や悪霊として語られる。

そういうのに詳しい人物が一人いる。「きりんのへや」のよく出てくる久留島さん。酒豪麒麟を潰す、ある種の陰陽師。彼の案内で、六波羅を吟行。そこで真っ先に連れて行かれたのが、先の句の「幽霊飴」を売る店。

夜中に飴を買いにくる婦人。聞けば母乳が出ぬという。飴を自分の口で溶かし、それを子に与えるのだ。しかし何故夜中にくるのだろう。それは婦人が幽霊だったから。幽霊になってもなお子を育てようという愛。魑魅魍魎が多い京都では泣かせる話。ぱちぱちぱち。

こういう話は京都だけではなく、金沢にも、鹿児島にもある。もしかしたら、全国の飴の美味いところならよくある話なのかもしれない。ただ重要なのは、死してもなお、泣く赤子を背負い育てる母の愛なのだ。

お気づきだろうか。麒麟さんはそんな幽霊飴を端居しながら、貰う。暑いねー。あー飴欲しいねー。A子、飴。と手を出す。そして飴は間髪いれず差し出される。愛情。惚気。それを自然にいや何食わぬ顔して出してくる。それは「へうたん」に棲む人のなせるわざなのか(彼の端居は、どうも桃源郷の雰囲気なのだ)。

麒麟さんに酒を注ぐひとは数多いる。しかし幽霊飴を渡せるのはやはりA子さんだけなのだ。ごちそうさま。


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