12月になりました。1月の創刊以来早1年。アクセス数が67000台となりました。5月頃からアクセス数が伸びているようです。
さて今号、冬興帖も最終掲載に近づいてきました。句帖シリーズも歳旦帖、花鳥篇、春興帖、夏興帖、秋興帖と私もどうにかついてゆくことができたと少しだけ安堵しています。
快調の小津夜景さん作品に加え、今号は、「攝津幸彦記念賞・佳作」の受賞作を掲載させていただきます。『豈55号』では佳作の副賞特典として応募作50句のうちの20句抄が誌上掲載されましたが、受賞者の方から当ブログにて50句全句掲載のご希望があり、審査員の先生方に了承を頂き今回の掲載となりました。掲載をご了承された受賞者の50句が今号よりはじまります。
「攝津幸彦記念賞」各賞受賞作家の作品が並ぶと、確かに壮観であり彼の『五十句競作』を彷彿する興奮がありますね。
2013年の最終月に相応しいラインナップをどうぞ御覧ください。
全号のものではありませんが、2013のトップページ写真一覧もどうぞ御寄りください。
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筑紫磐井
平成の名句集という座談会に出席し、平成の期間中に刊行された名句集を5冊推薦して、その理由を語って来た。私が推した平成の名句集は、
①『六十億本の回転する曲がった棒』(関悦史)
②『おまへの倫理崩すためなら何度でも車椅子奪ふぜ』(御中虫)
③『夜の客人』(田中裕明)
④『遅速』(飯田龍太)
⑤『軽のやまめ』(阿部完市)の5冊であり、さらに補欠として
⑥『自人(陸沈考)』(永田耕衣)
をあげておいた。他のメンバーと比べても、私のあげ方はだいぶ異色だったらしい。若い作家を取り上げすぎだと批判もされた。ただ、誰があげても、昭和の名句集(『葛飾』『凍港』『五百句』『万緑』『百戸の谿』などがあがるに決まっている)と違って、平成の名句集はばらばらになることは間違いない、その意味ではむしろなぜ選んだかという理由の方が大事である。私が列挙した理由はその雑誌で述べてあるので読んでいただきたい。
○名句集というような呼び方では、あげきれないのが全句集である。最近多数の全句集が刊行されている。単一の句集ではあまり感心するものに出会うことはないが、全句集はさすがに感心するものが多い。今年出たものだけでも読みでのあるものが多い。
先ず今年一番に上げたいのは、『古沢太穂全集』(2013年3月31日新俳句人連盟刊/8000円)だ。太穂は平成12年に86歳でなくなっているから、没後13年たって出された全集である。この全集には太穂の句集5冊が収録されている他に、それとほぼ同じ頁数の座談・講演・評論などが載っており、さらに太穂追悼の諸家の言葉も併載されているので、まさに古沢太穂の全貌を知ることができる全集となっている。
ロシア映画見てきて冬のにんじん太し
子も手うつ冬夜来北ぐにの魚とる歌
白蓮白シャツ彼我ひるがえり内灘へ
巣燕仰ぐ金髪汝も日本の子
怒濤まで四五枚が冬の旅
もうむくろに今日ぼろぼろの雲とつばめ
全句集と銘打ってはいないが中嶋鬼谷編著『峡(かい)に忍ぶ』(平成25年5月藤原書店/3800円)は馬酔木の閨秀俳人馬場移公子の全句集(『峡の音』『峡の雲』の2冊)とそれから漏れた作品を収録しているから、ちょっとした全句集といえるであろう。こんな時代があったのかと懐かしくなる句が多い。
うぐひすや坂また坂に息みだれ
諭されし身を片影に入れいそぐ
春祭あはれ白痴の粧ふも
日をかけて咲く片栗の蔭の花
さらについ最近出た『長谷川かな女全集』(平成25年11月東京四季出版/12000円)は6句集と拾遺、5冊の随筆集を収録している。現在、女性俳人が圧倒的に多い時代であるが、その女性たちが俳句に入る始めのきっかけは、かな女がいたことによって実現したといってよいのだ。明治43年から始まり昭和44年までの、虚子に匹敵する俳歴を持つ稀有の作家である。後輩の久女と比較して穏やかな俳人と思われているらしいが、資料を見ると、夫零余子の残した雑誌「枯野」をめぐって零余子の高弟とかな女の熾烈な主導権争いがあったらしく、その結果として「水明」という雑誌が生まれたことが分かる。決して星野立子のような虚子の庇護の下にのんびりとした環境ですくすく育てた女流俳人ばかりではなかったことを知っておきたい。
羽子板の重きが嬉し突かで立つ
牡丹みな崩るる強き日あたれり
西鶴の女みな死ぬ夜の秋
湯豆腐の一と間根岸は雨か雪
これらこそ、まぎれもなく平成に出た名句集といえるであろう。おやおや、いつの間にかまた「現代俳句を読む」のような編集後記になってしまった。
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