2. 鬼赤く戦争はまだつづくなり
16-1 “テーマ「色」”では、上掲句の「赤」について書いた。
俳句は最短の詩歌だが掲句の句意は重くのしかかる。
『眞神』が連句の手法をとっていることは生前のインタビュー(『恒信風』聞き手:村井康司)で明かされている。敏雄はその詳細に触れていないが、無季句を積極的に『眞神』に配置していることも大いに古典俳諧と関連があるだろう。「新興俳句は壊滅した」と言い切る敏雄の無季句模索から30年以上が経過していた。冒頭句「昭和衰へ馬の音する夕かな」を発句とするならば掲句は脇となり、発句にある余情・余韻をもって付けられるものということになる。連句を考えなくとも自然と冒頭句につづく第二句は、関連をもって見えてくるものではあるが。言わずと「昭和」と「戦争」、「馬」と「鬼」が対になっていよう。忘却されそうになる戦争を鬼という妖怪を登場させ風化させまいとしているように感じる。
日本の「鬼」は「悪」から「神」までの多様な現れ方をしておりある特定のイメージが摑みにくい。ここでは、戦争がまだつづく要因になる鬼、すなわち地獄の景が想像できよう。戦争を知るものだけが味わった地獄。戦中派といわれた敏雄世代の苦悩がいつまでも続いているということにもうなずける。「赤鬼」ではない。元は何色だったかわからない鬼が赤くなっている。血を流している、あるいは、怒っていると想像できる。
敏雄の鬼は血を流し、怒り、反戦を訴える。『眞神』刊行の少し前、戦後派世代である北山修(精神科医・詩人)の『戦争を知らない子供たち』がヒットしたのは1970年のことだった。戦争を知らない子供だった自分が、今、戦争に向き合った敏雄と対峙している。戦争の影は決して消えることがない、消えさせてはいけないものだろう。
敏雄は1955(昭和30)年、密林での激しい戦闘が繰り広げられた東ニューギニア(現:パプアニューギニア)およびソロモン群島等の戦没日本兵遺骨収集のための航海に従事している。陰陽五行の赤の方位は南であるという説があり、戦後の昭和を生きた敏雄の句は私的な面に於いて検証してもリアルに成り立つのである。
2011年は、かの大惨事が起きた。戦争と原発事故は国策より破滅的な被害を出してしまったということに共通点がある。第二の敗戦として災後がつづいている。赤くなっているのは鬼の涙かもしれない。
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