後ろ手
秋暑しいちじくの葉のざらつきも
青柿や空家に隣るのも空家
優曇華に触れ金物の町を去る
銀漢や後ろ手は知恵授かる手
草の実を並べて母と子の去りぬ
・・・
『かざぐるま』という小説があった。
父の本棚から抜き出して読んだ。いつだったか? 小学校の高学年?
内容は殆ど憶えていないのだが、冒頭の1ページがクレヨンで子供が書いた字をそのまま印刷したような、そんなレイアウトだった。どんな文章が書かれていたのかは記憶にない。
はっきり憶えているのは
「先生は僕のことを〈僕のクランケさん〉って呼ぶんだよ」これだけに等しい。
患者であるこの『かざぐるま』の主人公の男の子の台詞。クランケは独語のkranke、病院では普通に使われている言葉だが患者のこと。つまり入院中の患者と主治医の物語である。この本を読んだ時私はクランケという言葉を知らなかった。だから却って記憶に残ったのだろうか。
主人公は小学校へ上がる前の子供だったと思う。あやふやだけれど「お母さん、入学式には紫の着物を着てね。僕あの着物が大好きだから」こんな会話があったような気がするから。
そんな年頃の子供たちが風車を回して遊んでいた時、2人がぶつかって風車を支えていた金属、真鍮の箸だったような、それが目に刺さったのである。脳に達するような傷。始まる入院生活。その子の目は失明するわけだが、他方の目もやがて見えなくなり、最後には亡くなってしまうという話だった。
今なら病室へ入る前の医師の心情なども考えてしまうが、当時の私は何を思って読んだのだろうか。担当医にしても、快癒へ向かう患者と死へ向かっている患者と、相対する気持は当然異なる。
この小説にも手術や死の場面、両親、加害者となってしまった子供やその家族等々のことも書かれていたはずであるが……。
実家へ行った時にこの本のことを思い出して父の本棚を探したが見当たらなかった。処分されてしまったのだろう。
小説『かざぐるま』の作者も出版元も知らないが、もしかしたら実話に基づいた話だったかも知れない。
「かざぐるま」も「風車」だったのか「風ぐるま」だったのか、それさえも覚えていない。
ついでに思い出したのが昔の隣家の女の子。お姉ちゃんと慕ってくれてよく遊び相手をさせられた。
一時、彼女の臨終ごっこに付き合わされたことがあった。「お姉ちゃん、ちょっと寝て」という。横になると「息止めてね」と命令される。白いハンカチを私の顔に被せて「ご臨終です」という。そして笑い転げる。「息してもいいよ」というまでおとなしく寝て付き合ったけれど。こんなことが面白かったのだろうな。自分の家でやると叱られるから、私の所へ来て遊んでいたのかも知れない。
彼女が幼稚園の頃だったはずだが、テレビでこんな場面でも見たのだろうか。
これは笑い話ですむようなことだけれど。
俳人にはお医者様も看護師の方も多い。そんな人達の俳句を読むと、色々と思い出したり考えたりしてしまう。
(2025・9)