空耳に返事などして涼新た 中西夕紀
風の中でなつかしい誰かが呼んでいるよう・・・。
中西夕紀句集『くれなゐ』は、しずかな言葉ではじまります
漢ゐて火を作りをる春磧
火に対ふしづけさとあり秋の昼
身辺、日常のつつましい行為がつくる火。それが、
豆腐煮るうゐのおくやま来し鴨と
こほろぎやまつ赤に焼ける鉄五寸
古典モチーフ〈うゐのおくやま〉と出会い、さらに、はかないこおろぎの命と対比される烈火を経て、
火を守る暗闇にをり露の中
やがて、古来より守られた火種へと姿を変えてゆきました。それは、言葉の流れが、夕紀句を貫いて、普遍へ到達する過程と重なります。
〈宇野千代を見習ひたし〉の詞書を持つ一句、
恋数多して長生きの砧かな
『おはん』などの作品で知名な宇野千代(1897~1996)は、恋に散文に、長い人生をチャレンジし続けた先駆的女性でした。さらに〈砧〉から想起されるのは、遥かに時を隔てた女性たち。
砧の音、夜嵐、悲しみの虫の音。交じりて落つる露なみだ。
ほろほろはらはらはらと、いづれ砧の音ならん 世阿弥 『砧』
能の『砧』は、都へ上って長年帰らない夫を待つ妻の嘆きを描いた演目。秋の夜、布を和らげるために砧を打つ所作に悲しみがこもります。
日本画の名作も浮かんできました。
女流日本画家草分けのひとり、上村松園の『砧』は、元禄風俗の女性が、憂いを帯びた表情で、しろたえの布を前に立つ姿。彼女は、遠く離れた夫に思いをはせながらも、自分自身の内部を見つめるように佇んでいます。夕紀さんにとって〈砧〉とは、古今の女性と連帯するためのキイとなる言葉なのでしょう。
鹿の声山よりすれば灯を消しぬ
ここでも、読者は、百人一首の、
奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声聞くときぞ秋はかなしき 猿丸太夫
妻恋の鹿に寄せる歌を思い出すことでしょう。声、山、灯。なにげない言葉を連ねた一句から、定家の時代にさかのぼる情感とエロスが立ちのぼります。
機転の効いた句、ものの本質を追う句、するどい句、やさしい句も満載です。
ぶら下げて女遍路の荷沢山
遍路とはいえ、女性にはいろいろと荷物があって。
かなぶんのまこと愛車にしたき色
発光するみどり、スピードも出そうです。
駅に買ふトマトにいまだ日のぬくみ
採れたてのトマトは日差しの味。
置く皿の影の二重に秋深し
ふたつの影は、存在のうらおもてでしょうか。
今にして母の豪胆緋のマント
緋色、くれなゐにかがやいて、母の衣装は燃えています。
生き方の選択と変化を問われる2020年、中西夕紀句集『くれなゐ』は、深い色と意志をたたえて、ここにあります。
日の入りし後のくれなゐ冬の山 中西夕紀
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