眞矢ひろみさんの句集『箱庭の夜』を一読して、青色や青い空、青春時代が繰り返し詠われていることに注目しました。こうした作品には、タイトルの「箱庭」や「夜」という言葉と少し違った一面が見てとれます。寒色系のクールさを保ちながらも、開放的な世界が広がっているところに魅力を感じました。以下、いくつかの句を取り上げて鑑賞を試みます。
蒼天をピアノに映し卒業す
「卒業」が季題で春。グランドピアノの蓋に、窓の外の空が映っているのでしょう。不思議ですが、その音が聞こえてくるようには思われません。長い式典の途中、ふと周囲への意識が遮断され感慨に浸っていたのでしょうか。その時、視線の先にあったピアノに映っていた「蒼天」が目に焼き付けられたのです。静けさの中に明るい前途がはっきりと示されているようで頼もしいです。
いっせいに命を囃す植田風
「植田風」が季題で夏。植えたばかりの稲の苗が青々と風に吹かれている様を、このように詠ったのでしょう。もちろん、苗だけを「命」と言っているのではなくて、木々や鳥、虫そういった環境すべてを風が渡り「囃」していくのです。田植えの頃は、動物も植物も盛んに活動する時期にあたります。その生命の営みを、「いっせいに命を囃す」と力強く讃えています。
磐座に載せるものなき涼しさよ
「涼しさ」が季題で夏。この磐座は、上が平たくなっているのでしょう。森の中に祀られているものもありますが、これはどこか山の上とか見晴らしの良いところにあるように思われます。ひょっとすると、ここに神が降臨して座ったというような伝説でもあるのかもしれません。それはともかく、作者は、何を載せるでもなくただ岩として鎮座する姿に「涼しさ」を感じたのです。その上に何もない爽快感が率直に詠われていて、共感できました。
意味に飽く少年少女夏の果
「夏の果」が季題で夏。その日にやるべきこと、その年に避けて通れないイベントが次々やって来る、それが少年期です。常に何かに追われ、さしあたっての進路を選んでいくだけでも大変な忙しさです。同時に、それを行うことの意味、自分は何者かという問いにも向き合わなければなりません。追われながら立ち止まることを迫られれば、逃げたくなるのも無理のないことです。「少年少女」たちは、夏休み、真空状態におかれて、ふと全てを投げ出したくなったのでしょうか。考えてみれば、これは誰もが通ってきた道であり、身に覚えがないこともありません。「少年少女」とモデルをぼかしているのは、読者それぞれの封印した記憶をよみがえらせる仕掛けかもしれません。
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