2013年1月18日金曜日

文体の変化【テーマ:リアリズムの発祥④】/筑紫磐井

 ~文化大革命詠~

前田透に関してはむしろ、従軍後期の戦争短歌に興味が引かれる。私が掲げた短歌は、昭和18年頃までの従軍俳句である。前田透にはそれ以降の従軍短歌があるはずであるが、記録には残っていない。それをうかがわせるのは、帰国直後、秩父に籠って詠まれた回想短歌である。

祭りの夜はあけやうともせず 領布(ひれ)振りながら歌ふ女らの うしろの かがり火 陰影をつくる
幻想めいた満月の夜は 熱帯林の斜面が遠く凍つたやうに青い焰をあげる

前田透は東チモールに派遣され、連隊長と対立し辺地に追放されたことから、これを幸とし、宣撫の名目のもとに現地王族と独立運動を繰り広げる。この時の回想が、上記のような歌となり、『漂流の季節』、これに続く『煙樹』での絶唱となっている。

少年はあをきサロンをたくしあげかち渡りゆく日向の河を
混血児オリヴィユの眉やさしけれ夜半の踊りに吾を誘ふ
ジェルマヌはパンの実のごとやさしけれひそやかに朝の挨拶するも
しびれ蔦河に流して鰐を狩る女らの上に月蝕の月
さそりが月を囓ると云へる少年と月蝕の夜を河に下り行く
十三歳にして戦争の悲痛を知りしより笑はざるオリヴィユをわが愛せりき
巨眼猪首の王は惑ひて白日のデリー街道を曳かれて行きけむ
林の中ジュオンは蜜蝋をとりに行きひそかにパンの実は焼けている
青き野火低く燃え居る日の涯宣撫連絡の騎馬かけて行く

戦争の悲惨さなどほとんど見ることができない。作者が言うように、「戦後になって作歌したため懐古的な甘さが多い」と書いている通りだが、こうした動機があったことは尊重すべきだ。そしてこうした知識人の甘さは、戦後、中国の文化大革命に遭遇することによりまた前田透の心情の中に甦っている。
大いなる旗赤く流れ域外より朔風きたり人みなかがやく
紅旗なびく広場の大厦靄なせば人民はいたく熱すれどやさし
鳳凰木の明るき葉蔭旗持ちて少年先鋒隊(ピオニール)来たるあるいは素足
北爆を怒れる陳氏窓の夜に稲妻立ちて茉莉花茶冷ゆ
髪長く編みし女兵なりき低く言う南京虐殺過去なれど歴史
雲流れ革命のオプティミズム湧けり旗赤き労働節の街はかがやく
街どよもし道うずめ行く群衆の歌声日々にはげしまたかなし
頭垂れ思うに西欧の楽は甘しデモ絶え誰も来ぬ夜の道
絶対多数の前には滅びる者もある、芭蕉の夕日、公社の池くろい
貪欲となるまでの民衆街埋めて劉・鄧を逐うプラカード行く
毛主席の顔のバッジは小さけれど少女は必ず乳のへに付く
朝の木蔭に太極拳を習う人 国のうちふかきかかる積極
激語せし女子学生しづかに泣き始む樹下集会に誰も黙して
工、農、兵に奉仕せざれば文芸の道なしと楼に旗高く鳴る

前田透は文化大革命を肯定している。しかし、そこにインテリ特有のたゆとうような影がある。それは、戦中の従軍短歌とよく似ていたのである。我々が二度と体験できない歴史的事件の中でインテリたちの心情がどのように揺れているかをうかがう手がかりを前田透から知ることが出来る。
いまでは忘れられかけている前田透をことさら取り上げたのは、短歌と俳句の違いを知るためには、いま流行している短歌と俳句--著名な短歌や俳句を比較するより、極限の短歌と俳句ーー一般的でない故にあまり論じられることの少ない短歌や俳句を比較してみる方が有効だと思うからである。ただその極限の状況を設定するときに条件がある、例えば戦争は悪だとか、文化大革命は誤っていたとか言う常識的な予断は排除しなければならないということだ。そんなことなど渦中の人々には分かりはしない、われわれは時代の外からものを見ることなど滅多に出来はしないからだ。そうした常識的正義感(あとづけの正義)を超越して、短歌と俳句は表現として何が可能であったかだけを知るべきなのである。

 
思うに原初的な詩歌とは、作者本人にとって血湧き肉躍るものであったはずだ。文芸としての価値があるかどうかとは別に、個人の動機はそうあるべきだ。動機がなければ文芸も詩歌も開始し得ない。だからそうした個人の動機に対し、技術や伝統は後から付け足されるに過ぎない。技術や伝統が個人の動機を否定することなど出来はしないのだ。もちろんそれは技術や伝統の重要性を否定するものではないが。

碧梧桐の山岳俳句も、戦士による多くの従軍俳句も、前田透の文化大革命の短歌も、後世の価値基準から見たら間違っていたかも知れないし、当世流行の短歌や俳句の世界からは無価値ないし稚拙と見なされるかもしれないが、なお個人的には価値があったことは間違いない。いや皮肉なことを言えば、後世の価値基準がいずれ覆ることはしばしばあるのである。むしろ芸術のパラダイム転換は、個人の価値がしばしばジャンルの違う素人たちに感動を与え、それにより枠組みを超えた新しい文学や芸術を創造することで生まれる。古典主義への怒りがなければ浪漫主義は生まれず、浪漫主義の偽善を唾棄しなければ自然主義は生まれ得ない。芸術に正しいことなど何もないのだ。

何より山岳俳句も、従軍俳句も、文化大革命の短歌も、そこには現代の俳句に蔓延している、俳句上達法によって作り上げられた無感動な類想化が見られなかったではないか、それがいい証拠である。そこには、1回限りの感動、1回限りの表現があったはずである。


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