雷二三お泊りらしや最晩年
晩年とは不思議な言葉である。ある人にとっての「晩年」とは何歳頃であったのかは、その人が生涯を終えた後にしか分からない。常に、事後的にしか使えない言葉なのである。さて、掲句を収めた『葱室』の刊行は昭和62年、耕衣87歳の年である。これから迎える日々を自らの晩年と観じ、そこに雷が二つ三つ「お泊り」だろうとする、予言めいた句である。『葱室』には「
金魚鉢我ら死す事明らかなり」、「
死を以て逃亡と為す葱の國」等、死を強く意識した句が並ぶ。しかし、耕衣俳句における「死」に暗鬱さはなく、むしろ現在感受している世界から別の世界への移動や解放のように扱われる。とすると、自らの「晩年」も、言わば乗っている列車からの風景の変化に、生と死の「国境」に近づいたことを感じる……そのようなものとして意識されたのではないか。
行く手に待つ「雷二三」は波乱の予感なのか、あるいは何らかの霊的な閃きを指すのか。耕衣翁はこの年から死去までちょうど10年の歳月を生き、その間、阪神大震災にも遭遇している。(昭和62年『葱室』)
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