この句集を読んでいて高山れおな俳句の底敷きにある古典の素養を私自身は、あまり知らないためどれだけこれら高山れおな俳句作品群を読み込めるか心許ない。
高山れおな俳句の代表句でもあるこの俳句との出会いを思い出す。
俳句雑誌に眼が釘付けになった。
麿、変?
麿とは、平安時代以降にわたくしを指す言葉として使われる。
この俳句を詠んで私は衝撃を受けた。
五七五の最短詩型文学よりも言葉を削がれた形態。
その後、高山れおな句集『荒東雜詩』で再びお目にかかる。
その句には前書きがあるがここでは読み手である私の創作鑑賞に任せて頂こう。
ここで登場する麿は真っ白い仮面をかぶったような平安時代の人物だ。
ただ違うのは私たち詠み手である令和の現代社会に登場するのだ。
どのように平安時代以降の風習に慣れきった麿は現代社会で暮らしていけるだろうか。
その時代のギャップに思わず「麿、変?」と尋ねてしまう。
打って変って現代社会にいる私たちも「私は、変?」と現代社会の孤独の闇に麿の仮面のように浮かび上がるあなた自身の疑問を抱いてしまうことはないだろうか。
そう、この俳句の衝撃は、自分自身のアイデンティティーを再確認しなくてはならない現代人の危機にあるのかもしれない・・・・。(※1)
句集『ウルトラ』(沖積舎、1998年、第四回スウェーデン賞)、句集『荒東雜詩』(沖積舎、2005年、第十一回加美俳句大賞受賞)、句集『俳諧曾我』(書肆絵と本、2012年)、『冬の旅、夏の夢』(朔出版、2018年)と読み進めるのだが、古典を底敷きにしているその素養を学ぶ私の時間や興味が足りなさ過ぎる。
それでも本句集『百題稽古』を何度も読み返しながら私なりの句集鑑賞を綴りたい。
好きなものうららなる日と達磨歌
好きなのは、麗らかな日と達磨歌。
麗らかとは、日ざしが柔らかくのどかに照っているようすを表わす言葉で春の季語。
達磨歌は、歌論で意味の難解な歌のこと。
本句集では、たびたび詠まれる百題のひとつ。恋歌が、とても気になりますね。
命とは白シャツに透く君なりき
命の息吹は、白シャツに麗らかな日の光りに透けるほど眩しく感じ入る君ではないか。
ドキュン死(ここでは昆虫の仮死状態を文字った造語)してしまう。”胸きゅんきゅん”して死にそうです的な私の胸も切なくなるさー。
かがよひて遊べる糸か我もまた
”かがよう”は、「耀う」とも書いて光り輝くということ。
この場合、遊糸(ゆうし)ではなく”遊べる糸”なので、遊糸(あそぶいと)は、陽炎と捉えたい。
ですが、どちらとも云える。
光り輝く遊べる糸のように我もまた・・・・きらきらと愛し合う。
ふらここのあのこ消えにし桜かな
”ふらここ”は、ブランコのことで、そのブランコの漕ぎ手であるあの娘(こ)は消えるように咲いて散りゆく桜なのかもしれません。俳句鑑賞者の私も胸きゅん止まず。
見て朧触れて朧の人を嗅ぐ
息白き別れは星の匂ひかな
稲妻に映えてよみ人知らずの眼
見ても触れても朧な君を抱き寄せたまえ、かしら。
息は白く別れを惜しむふたりは、星の匂いがするのでしょうね。
稲妻に浮かび上がるふたりの逢瀬は、詠み人知らずの眼と捉える詩眼が光る。
この地球上に男と女、その他諸々いますが、今の私は、この感情と縁遠く居るような気さえするのですが、とてもこの百題稽古の底敷きに生きた古人(いにしえびと)たちが、切実に恋歌を詠う意義を想像して止まない。
お茶らけて人生も、さてっ。ぎりぎりの風来坊風来松になりかねない私ですが、周囲の自然界を見渡せば、例えば、昆虫の世界の壮絶な雄雌を求める激しいバトルが展開されている。
高山れおな俳句のとてもデリケートな百題稽古の古典への敬意は、古語の現代語にしてみて御分かりでしょうが、歌枕であったり、優れた先人たちへのリスペクトを込めて引っ張り込んでいる文学における融合とさらなる詩心の飛翔をなしえる大いなる可能性をこの句集で多くの示唆に富んでいる。
あまたの俳句の果実の収穫を今後も感じ取れる。
だから私は、私自身も含めて「恋せよ!人類」と云いたい。
素晴らしい句集をありがとうございまーす。
その他、共鳴句もいただきまーす!
梅の闇アメーバ状に我を愛す
双蝶の激してしづか濃山吹
花は葉に人は渚にころもがへ
光年の駅の別れやほととぎす
昼月に誰の魔法の萩のこゑ
どの子にも朝顔巻いて巻いて笑む
浮寝鳥水うねれども光れども
神君の鷹野の記念写真無し
太陽冠明るく未来明るく冷やし中華
昭和百年源氏千年初鏡
花筏ももとせ揺れて戦前へ
雉いま電流に酔ふギターかな
夏近き迷路で鶯もゐるよ
草いきれいよよ魅死魔の胸毛なら
遙かより「遙」かより火蛾湧き次げる
紫陽花の残党かすむ残暑かな
稲妻や花の都の狂ひ咲き
此道や憑かれ易くてちんちろりん
滅裂のみぞれの窓ぞ磔刑図
初雪や皇帝ダリアありし座に
王の眠り落葉の底を漂へる
星凍つる京へ京へと御調物
たけなはの独り俳諧冬の春
戦争の星空蠅の眼の中に
湯の澄みに寂光残り草城消ゆ
時の日の湖光りつつ眠る
ふるさとや銀器に映る夏至の海
千代の春知る石筍が不気味なり
万物の中の少女が米こぼす
海女の笛感幻楽にありやなし
空蟬の琴弾く形のめでたさよ
余寒なほ顔に張り付く鳶の笛
流氷やみな猫の眼を開きつつ
雉子ほろろ戦ぐは幻肢父たちの
新緑やさもあらばあれ京の酒
「や」はらかき身は降るのみぞ虎が雨
姿煮や夏潮深く恋せしが
涙河ひかりやすきは夏めける
我が思ふ似顔は売らず羽子板市
【下記の注釈を推敲しています。】
(※1)「小熊座」2010年5月号 vol.26 no.300の「感銘句より 麿、変?」(豊里友行)