渡部さんの強みの一つに、色彩美を捉える感覚の鋭敏さがあげられる。本句集の「序」においても日原傳氏が「『色』を詠み込んだ句が多い」と指摘し、「スメタナの青き水面へ黄落す」「霜降る夜赤き封蝋解くナイフ」「小鳥来る青き甍の神学校」等を取り上げている。
どの句も、情景が一幅の絵画のようにありありと心に浮かぶ佳句である。一方、本句集には無彩色である「白」が詠まれた句も多く収められており、筆者はそちらにも非常に心惹かれた。言葉の絵具箱を自在に使いこなす手腕を持つ渡部さんが、あえて詠む「白」にはどのような魅力があるのか。本稿ではこれを読み解いてみたい。
1清浄なる「白」
渡部作品の「白」は、読者に「清浄さ」を強く印象付ける。無論、「白」とは伝統的にも清潔・純粋といったイメージを纏う色だが、一句の中で取り合わせられた句材によって、その「白」の特質が遺憾なく発揮されることとなるのである。
産着とす白のレースの花模様
真白なる藁を敷入れ降誕祭
一句目、渡部さんご自身の出産準備の様子を描いた句。「白のレースの花模様」がいかにも涼しげで、穢れを知らぬ赤子にふさわしい。二句目は幼子イエスやマリア、ヨセフなどの人形を並べている場面だろうか。ミニチュアの馬小屋に敷く藁が「真白なる」ものであることに、ふと厳粛な思いが湧く。いずれも純真無垢なる存在への慈しみや畏敬の念が「白」に託されている。
初御空胸に真白き矢を抱く
「真白き矢」は年頭の清々しい気持ち、あるいは我々に与えられた「新年」という時間そのもののようである。青く澄んだ空のもと、主人公もこの一年を「矢」のように真っすぐに歩んでいくのだろう。
くるむもの白を尽くして雛納
華々しい雛人形を包む薄紙の「白」を詠む。「雛」とは本来、人間の身代わりとなって穢れを引き受けてくれる存在である。飾り終えた雛に対し「白を尽くして」丁重にくるんでいく行為には、いわゆる「清め」の思いが込められているのではないか。
2時空を超える白
渡部作品において「白」は、しばしば「いま、ここ」ではない時空へと読者を誘う色となる。
① 過去と現在
天平の白きよらかに梅咲けり
実朝の海を向かうに白式部
八月の折紙の裏みな真白
一句目、大伴旅人の邸宅で梅花の宴が催されたのは天平2(730)年のこと。「天平の白」の一語が奈良時代の歌人たちに愛でられた梅と、眼前の梅とをつなぐ。二句目、「海」と「白式部」による大小、紺青と白の対比が鮮烈。源実朝の絶唱「大海の磯もとどろに寄する浪われて砕けて裂けて散るかも」が思い起こされ、気品を湛えた白式部の実に、悲運の将軍の面影が重なる。三句目、色とりどりの折紙の裏の「真白」に着目。八月といえば、何かと先の大戦に思いをいたす月、この「真白」は原子爆弾の閃光や、終戦の詔勅を聞いた人々の心の空白に通じている。折紙を楽しむ平和な八月の一時と、戦時中、戦争直後の八月とが「真白」によって結ばれるのである。
② 異世界と現実世界
月白し仮面真白き古代劇
月光降りそそぐ中の野外劇のワンシーンを捉えた。舞台上に生み出されるのは、「真白き」仮面をつけた者らの演技による虚構の世界――の筈だが、観客たちには、やがてそちらがもう一つの現実のように見えてくるのだ。
箱庭の白沙微かな熱を持つ
箱庭という別世界にも、現実世界の夏の日差しは届き、熱気がこもることもあるだろう。理屈の上ではそう納得するものの、いつしか自分が箱庭の中の人物となり、微熱を帯びた白沙の上に佇んでいるような錯覚に陥る句。筆者は安房直子の童話「鳥」を連想した。
以上見てきた通り、渡部作品における「白」は俗塵を離れた清らかさを表す色として登場する。また遥かな過去の光景や人物像、現実を超えた異世界等をありありと感じさせる色として登場する。
絵画において、最も明るい白は絵具の白ではなく、何も塗らない紙それ自体の白だという。色彩感覚に優れた渡部さんが白を択ぶとき、一句に清浄な光が射し、あるいは時空を超えた世界を垣間見せる、不思議な力が宿る。
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池田瑠那(いけだ・るな)
1976年11月生。「澤」同人、俳人協会幹事。
2004年「澤」入会。2007年第7回澤新人賞受賞。2018年第一句集『金輪際』を上梓。2021年「虫愛ずるひと、犀星」にて第8回俳人協会新鋭評論賞を受賞。2023年「閾を視る、端に居る――上野泰が詠む閾と縁側――」にて第24回山本健吉評論賞を受賞。