前号で紹介した、本年現代俳句大賞を受賞した齋藤愼爾氏が、3月28日に自宅で亡くなった。お別れ式が、令弟齋藤斎氏、友人高橋忠義氏、高林昭太氏を中心に、ご家族、親しい人により、 31日 、自宅に近い西葛西セレモニーホールで執り行われた。当日俳句関係では、西井東京四季出版社長、鈴木コールサック社長、星野高士氏、井口時男氏、高澤昌子氏等が参列した。お別れ式後荼毘に付され、斎藤氏が行きつけの近隣の寿司屋にて精進落としが行われ、様々な秘話が語られた。(写真参照)
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齋藤愼爾は、『ひばり伝 蒼穹流謫』で芸術選奨文部科学大臣賞、『周五郎伝 虚空巡礼』でやまなし文学賞受賞、このほか『寂聴伝 良夜玲瓏』、『続 寂聴伝 拈華微笑』と評伝の分野の作家として卓抜な才能を示した人であるが、もともとは深夜叢書社という出版社の代表として知られている。自らのためというよりは他のために貢献する、縁の下の力持ちであったのだ。
深夜叢書社のおかげで多少世に知られることとなった若手が多い。特に、若手の評論書等出してくれる出版社などほとんどないから、この点に関してはありがたい出版社であった。『霧くらげ何処へ』 堀本吟、『飯田龍太の彼方へ』 筑紫磐井、『生きながら俳句に葬られ』 江里昭彦、『俳句という劇場』 須藤徹、『起きて、立って、服を着ること』 正木ゆう子、『女神たち 神馬たち 少女たち』松下カロ、『余白の祭』恩田侑布子等がある。正木は俳人協会評論賞、筑紫は同新人賞、恩田はドゥマゴ文学賞を受賞している。私事になって恐縮だが、私の評論集については、ある日旅行中の宿から突然「龍太論を書き下ろさないか」と電話がかかって来た。私はある雑誌に龍太論の第1章を書いていたがそれを読んで決心したらしい。言っておくがあまりにマイナーな雑誌で、俳壇のだれも読んでいないと執筆者自身が確信している雑誌であった。こんな雑誌を読んで、企画を構想するのが齋藤慎爾であった。その後評論集を出した若手に聞いてみても、大半が私に似た経緯で出版することになったらしい。伯楽という言葉がふさわしい人であった。
こうした齋藤愼爾の生涯の総括を自分自身で語っている資料が、昨年出た「コールサック」111号(2022年9月)のインタビュー記事「齋藤愼爾――飛島のランボー」だ。斎藤愼爾がモノローグで語る自伝であり、引揚地飛島でのいじめ、酒田で出会った教師秋沢猛による俳句の開眼、氷海賞の受賞、山形大学への進学と深夜叢書社の設立、堀井春一郎との交流、朝日文庫「現代俳句の世界」13巻の企画、美空ひばりの評伝、『齋藤愼爾全句集』の刊行、そして石牟礼道子、金子兜太、中井英夫、埴谷雄高、吉本隆明、島尾敏雄を語り、最後に死を語るというこの長編インタビューは齋藤の人生を締めくくるにふさわしい回想だ。
実はもうひとつ。高澤晶子の年刊俳句誌「花林花」は毎号1年をかけて俳人研究を行っているが、その最新号(2023年2月刊)は40頁を使って齋藤愼爾の4句集(『齋藤愼爾全句集』所収のもの)を鑑賞している。斎藤愼爾俳句特集はあまり見たことがないだけに齋藤愼爾の全貌を知るには欠かすことができないものであろう。いつかさらに全句集以後の句集『永遠と一日』、『陸沈』まで含めて論じられることを望みたい(『永遠と一日』については、俳句四季2012年5月号で、依光陽子、神野紗希、筑紫で座談評論している)。
そして亡くなる直前、現代俳句大賞を受賞し、現代俳句協会の総会(3月18日)には出席できなかったが、「受賞の言葉」を寄せて代読してもらい、喜びを語っていた。上のインタビュー、齋藤愼爾研究、そして受賞というこの一年の流れは、あまり俳句の分野で恵まれなかった(文芸分野では十分に報われていたが)齋藤愼爾にとっては実にいい舞台が整ったと言わざるを得ない。このような中で亡くなることは、いかにも俳壇のプロモーターらしい企画と準備が整いすぎているようで「ちょっとうますぎるよ、齋藤さん」と言いたくもなる。
実は今、齋藤愼爾著作集も準備されていると聞いている。本当に最後の最後まで齋藤愼爾らしい生涯と感じないわけにはゆかない。
西葛西セレモニーホール(3月31日) |
ホテルルミエール西葛西・TAIZUSHI(3月31日) |
齋藤愼爾氏の葬儀について
本年現代俳句大賞を受賞した齋藤愼爾氏が、3月28日にご自宅で亡くなられました。お別れ式が、令弟齋藤斎氏、友人高橋忠義氏、高林昭太氏を中心に、ご家族、ごく親しい方により、 31日 、ご自宅に近い西葛西セレモニーホールで執り行われました。当日俳句関係では、西井東京四季出版社長、鈴木コールサック社長、星野高士氏、井口時男氏、高澤昌子氏が参列しました。お別れ式後荼毘に付され、斎藤氏が行きつけの近隣の寿司屋にて精進落としが行われ、様々な秘話が語られました。
(筑紫磐井)