2019年1月25日金曜日

【抜粋】〈「俳句四季」2月号〉俳壇観測193 高齢は俳句でこそ生きる 筑紫磐井


●百歳の伊丹三樹彦
 昨年金子兜太がなくなり、この一年間は兜太に明け暮れた気がする。もともと昨年九月の誕生日で白寿(満年齢)を迎えたら、主宰誌「海程」を終刊し、自由な活動を始めると言っていたのだが、その前の二月二〇日に九八歳で亡くなってしまった。その後六月二二日にお別れ会があり、藤原書店から雑誌「兜太TOTA」を創刊、九月二五日に朝日ホールで雑誌創刊シンポジウム、一一月一七日に中堅・若手を中心としたフォーラムが開かれるなど盛大なイベントが続いたのである。今年も続くであろう。
 しかし、実はすでに昨年の二月白寿(数え年齢)を祝っている前衛俳人がいる。伊丹三樹彦である。私がこの文書を書いている最中に手紙を頂いたが、特徴ある元気な筆跡である。今年二月三日には、満年齢で九九歳、数えで一〇〇歳を迎えるのである。
 伊丹は関西中心で活躍するからあまり関東では交際の機会が少ないが、新興俳句の祖というべき日野草城に師事し、戦前から活躍していた。草城門下の楠本憲吉、桂信子らと親交し、競い合い、草城の没後「青玄」を継承した。同誌で坪内稔典、松本恭子を育てる。
 伊丹の劇的変化は平成一七年である。脳梗塞となり再起不能と言われ「青玄」も終刊した。しかし驚くべきはそこからリハビリで立ち直り、その一環として膨大な俳句を制作し始めたことである。毎日二〇句のリハビリ俳句通信が手書きで書かれ知友に送られている。当時私も頂いている。やがてそれは二万句に達し、句集『知見』等四句集が編まれた。それぞれが二~三〇〇〇句を収録している壮大な句集である。これらをまとめた『続伊丹三樹彦全句集』(平成二五年刊)も刊行されている(ちなみに『伊丹三樹彦全句集』は平成四年刊一六句集収録)し、その後も『存命』『当為』と句集が出ているおり不屈の闘志である。黒田杏子は、兜太は幸せな老後を送った、「現役大往生だ」と言うが、伊丹も同様幸せな老後なのではないかと思う。
 伊丹は、戦前の新興俳句、仏像俳句からやがて写真と合体した写俳、海外俳句と進み、常に新しい展開を示した。

眼を閉ぢて少年捕虜のみな秀眉
沙羅仰ぐ口端 自ずと 花白の語
一の夢 二のゆめ 三の夢にも 沙羅
モスク 片蔭 問わぬ 語らぬ 三老爺


 私の関心があるのが、伊丹が独自に「わかちがき」という表記法を採用していることだ。昨今保守的な若い作家たちの間では「切れ」が盛んに重視されている。切れの無い俳句は許されないと言うのだが、形式にこだわり過ぎた妙な意見だと思う。評論集の準備をしている高山れおなから、時々これに対し挑発的な電話やメールが来て私も同調している。確かに、それ程切れが大事なら高柳重信の多行形式や伊丹のわかちがきに倣ったらどうかと思う。これほどはっきり「切れ」の分る俳句はないからだ。ことほど左様に伊丹は現代俳句にとって常に刺激を放出している。この元気な超高齢者からは学ぶことがまだまだありそうである。
 最新の俳句年鑑から、近作を選んでみよう。一人住まい(平成二六年に生涯の伴侶伊丹公子を失っている)のマンションでの九九歳の生活には鬼気迫るものがある。

筆紙に黴 俳句生活 半世紀
ペンを執る 夜闇を忘れた街空で
短夜の 思いの募る 十七文字
句作での 不眠の町空 明け鴉


 ※詳しくは「俳句四季」2月号をお読み下さい。

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