2018年10月26日金曜日

【抜粋】〈「俳句四季」11月号〉俳壇観測190/爽波忌に若き弟子たちを思う ――― 筑紫磐井

(前略)
 爽波(敬直)は祖父が宮内大臣という名門の出身で、学習院在学時代からホトトギスに投稿していた。ちなみに、三島由紀夫(俳号平岡青城)は同級であった。その後、京都大学に入り春菜会を結成、ホトトギス最年少同人となった。当時ホトトギスにあっては、東京の新人会(上野泰、清崎敏郎、深見けん二ら)、春菜会、そして孤高の福岡の野見山朱鳥が注目されていた。しかし、爽波は虚子が選者を退いた後の年尾選のホトトギスに飽き足らず、春菜会を中心に「青」を主宰、ホトトギス系の四誌連合会や前衛俳人との交流を深める。「俳句題詠」「多作多捨」「俳句スポーツ説」など俳句の独自性に基づいた刺激的な指導法を唱え、晩年は藤田湘子とならぶ俳壇の寵児となり、結社を超えて若手作家の高い人気を維持した。私も宴席に侍した記憶がある。
 主宰する「青」は、創刊当初の大峯あきら、宇佐美魚目、友岡子郷、若手では岸本尚毅、田中裕明、島田牙城、中岡毅雄が活躍したが、爽波の没後終刊した。
 没後二七年目(一〇月一八日が命日だ)となるが、ここに爽波を取り上げるのは、最近になって大峯あきら(二七年)、友岡子郷(三〇年)が蛇笏賞を、山口昭男が読売文学賞(三〇年)を受賞したというばかりではない。爽波の愛した若者たちがそれぞれに結実期を迎えているように思われるからだ。
 岸本尚毅(現在「天為」「秀」)は現在八面六臂の活躍中である。今年も、『岸本尚毅集』『相互批評の試み』(宇井十間との共著)『「型」で学ぶはじめての俳句ドリル』(夏井いつきと共著)が出されているが、特に爽波の実践的面である「多作多捨」「俳句スポーツ説」の思想をよく受け継いでいる。
 島田牙城(現在「里」)は、評論家・編集人・邑書林代表として有名だ。「青」の最後の編集長島田刀根夫を親としているのは血を争えない。孤軍奮闘して『波多野爽波全集(全三巻)』を刊行したが、その時はすでに爽波ブームが去っており、少しも売れなかったと嘆いたことを思いだす。「しばかぶれ」第二集(三〇年七月刊)では「青」に若手作家が続々と登場し始めた頃を回想しているが、これを語れるのも牙城ぐらいしかいないであろう。
 中岡毅雄(現在「藍生」)は、すでに俳人協会新人賞、俳人協会評論賞等を受賞し、七月から今井豊と「いぶき」を発行している。指導者の道を歩き始めたと言うことだろう。
ただひとり田中裕明(元「ゆう」主宰)は四二歳で夭折した(平成一六年)が、本年八月『田中裕明の思い出』が四ッ谷龍によって刊行された。裕明の初めての評伝ではないかと思う。夭折作家の評伝が書かれるというのも一つの結実期ではないかと思う。
 これらを見ると、爽波は六十代という働き盛りで亡くなり、「青」も早々に終刊しけっして恵まれなかったといえるが、爽波の蒔いた種は実は様々なところに芽吹いたのである。更に言えば、現代の若い世代の向いている方向は爽波のそれに近かったのではないか。彼らを通して、現代俳句の原点に爽波がありはしないか、と言うのが最近の私の感想である。

 ※詳しくは「俳句四季」10月号をお読み下さい。





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