2018年8月10日金曜日

「現代」と言うこと――水原秋桜子展に寄せて  筑紫磐井

 「現代」というのはいったいいつを言うのか定かでない。文学においては、厳密には個々それぞれのジャンルごとに「現代」の判断は異ならねばなるまい。
 では「現代俳句」というのはいつを開始時期とするか。著名な俳人を当てはめてみても、正岡子規、高浜虚子、水原秋櫻子、山口誓子、中村草田男、金子兜太などの誰をもって現代俳句のメルクマールとするかははっきり定めがたい。子規、虚子は近代俳句の創始者であろう。秋櫻子、誓子、草田男は昭和俳句の開始に当たる。兜太は戦後俳句の創始者だろう。しかし、そのどこをもって「現代俳句」と言うかは難しい。
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 ところで昭和四七年から刊行された角川書店の『現代俳句大系』では秋櫻子、誓子を大系の冒頭の第一巻に収めていた。ちょうどこのころ、虚子の人気は凋落し、ほとんど底を打っていた、一方、前衛俳句ブームから伝統俳句ブームに潮目が変わりつつある時期でもあった(それは俳人協会と角川書店が俳壇を席巻している時期でもあった)。明らかに秋櫻子はこうした時代の――つまり「現代俳句」の――頂点に位置付けられていたのである。
 さて金子兜太らが登場した「戦後俳句派」の時代の次に、「戦後生まれ派」の若い作家たち(長谷川櫂、夏石番矢、小澤實、田中裕明、攝津幸彦、和田耕三郎、正木ゆう子、片山由美子ら)が続々と台頭して来たが、実は戦後生まれ派は上に述べた環境下で俳句を始めていたのである。そして彼らはまた「現代俳句」の幸福・可能性を信じていた世代でもあった。なぜそれを信じられたのか。それは、この時に4S・人間探求派が全員存命し(波郷だけが直前に亡くなっていた)、新興俳句も三鬼を除けばそろっていたからである。こうした壮観な俳壇風景が目前に存在していれば自ずと現実は肯定せざるを得ない。そして、その頂点に立っていたのが秋櫻子であったのである。
 これは後世の評論家などがあと知恵で考える俳壇史的評価で言うのではなく、その時代に生きた者だけが肌で感じ取れる風景のことである。
 その時生きた者の実感でいえば、虚子のように重苦しい雰囲気ではなく、いかにも戦後的な仕方で君臨したのが秋櫻子ではなかったか。それは、俳句はかくあるべきだという人の道・芸の道を強制するのではなく、こんな美しいものに何故感動しないのか、という、素朴な美意識であったからである。
 しかし今思うに、これは我々の前の兜太等の戦後俳句派が見る秋櫻子とも少し違ったのではないかと思う。なぜなら、我々戦後生まれ派は、兜太らよりもっと素朴でミーハーだったからである。容易にこうした現代俳句の大系を受容していたのである。そしてそれは今もつづいている。
 (日本現代詩歌文学館特別企画展「水原秋櫻子展――現代俳句の出発――」(2018年3月24日~6月10日)より)

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