2017年1月13日金曜日

新春特集 71/2 … 柳本々々、中家菜津子、竹井紫乙、野間幸恵、川合大祐、岩田多佳子、徳田ひろ子、安福望


新春特集 71/2



0/8・・・柳本々々

パレード  柳本々々

わたしが寄稿させていただいた7人の方々に作品をお願いし、各著作をめぐる制作話を自由に書いていただいた。7は7名の7に、1/2は私の拙句になっている。掲載順は、刊行順とした。

タイトルは、フェリーニの映画『81/2』のもじりだが、『81/2』では一見無関係なエピソードが時空を超えてつながってゆき、最終的にすべての時間を胚胎したパレードへとなだれ込んでいく。だから今回もパレードを志向している。

わたしはパレードが好きだ。街でパレードをみかけると、後ろにこっそり並んでついていく。ときどき、取り押さえられることもあるが、たいていは、パレードはわたしにかまわず、続く。わたしの後ろに歩きはじめるひともいる。そうすると、もう、わたしはパレードの正式な一員である。パレードはどんどん、過去に、未来に、長くなる。パレードはわたしに話しかけてくる。おまえの過去は、未来は、いまは、どうでしたか、と。わたしは、あるきつづける。それがパレードへの答えになるような気がするからだ。

パレードは、つづく。

歩きながらわたしはふとかんがえる。もしかしたら、川柳や俳句や短歌が並んだ句集や歌集というのはパレードなのではないかと。いやそれだけでなく短詩のアンソロジーというものはパレードなのではないか。

一見無関係な一句一句の、一首一首の、ひとりひとりの歩みが、歩いているうちに、列をなし、関係しあってしまうこと。

生きるということ、〈ただ〉生きるということは、パレードになだれ込んでいくことに近い。
生きているだけで、ひとはパレードになれる。

特集とは、特別に集める、ということなのだから、それはひとつのパレードになる。未来から過去からあつめられたひとびとのパレード。

パレードのいちばん後ろを歩いていたのはわたしである。あとがきを書くとはそういうことだと思う。うまく歩けるように、よそ見をしないように、はぐれないように、前をむいて歩いた。川柳、俳句、短歌、絵とジャンルはそれぞれ違うけれど、なんらかのパレード的な、広がっては集まっていく、ゆっくりとしたつながりがここにはあるように思う。短詩とはパレードではないか。それが今回の企画で言いたいことである。ただ言いたいことを言うために立ち止まると、パレードからはぐれてしまう。わたしは、歩きつづける。パレードは、つづく。


1…中家菜津子


   *やぎもとは詩歌集『うずく、まる』(書肆侃侃房、2015年6月)の挿絵を担当。


【短歌作品】


Library/書斎  中家菜津子


D.H.ロレンス 翻訳伊藤整 発禁本に*******(ゆきはふりつむ)

ちびくろと怒りの葡萄 ブラックのブックバンドで綴じてパレード

黄昏が(ぼくの車はよろよろだ、ドロレス・ヘイズ)文字、、を吸い込む

一部分塗り潰されたキンドルとあなたに忍びよる言葉狩り

瞼からやぶかれて、ゆき 抱きあえばベッドに硬い本が散らばる


         (初出 詩誌『びーぐる~詩の海へ』33号「玉繭の間取り」より(一部改稿))

【詩歌集『うずく、まる』をめぐって】

 うずくまる途上で  中家菜津子
第一詩歌集『うずく、まる』(2015年書肆侃侃房)を振り返った時、一番、記憶に残っていること。それは巻頭歌を書き下ろすことになって、歌を五十首以上詠んでも、監修の加藤治郎さんに「現代短歌の水準ではない」と言われたことだ。それからは、とにかく歌集を一気に再読した。斉藤茂吉、前川佐美雄、塚本邦雄、岡井隆、葛原妙子…。写実的な描写と、観念あるいは感情とのバランス、その一点に視点を定めて読んでいった。私の思う現代短歌の美しさは、一首が観念に傾いても倒れることのないだけの具象を伴う、けれど、やじろべいではなく綱渡りのように危ういこと、そういう漠然とした思いが溢れてきて力が湧いた。水準と言われたら、水を渦にして短歌の世界の最高潮に溺れてみる。苦しかったことが、今では一番楽しかった思い出だ、深謝。

 セメントと砂利を速やかに混ぜあはすシャベル冷えつつ途上の光 葛原妙子『葡萄木立』

【中家菜津子・プロフィール】
 なかいえ・なつこ。さいたま市在住。未来短歌会所属(ニューアトランティスopera欄)。第一回詩歌トライアスロン・グランプリ受賞。現代詩と短歌の融合を模索中



2…竹井紫乙


   *やぎもとは句集『白百合亭日常』(あざみエージェント、2015年10月)のあとがきを担当。

【川柳作品】


バトンリレー  竹井紫乙

何もかも捨てない廊下に箪笥

日本語は聞きたくないの猫と犬

遺伝子は組み替えられたはずなのに

肥大化が止まぬ娘と息子なり

モルヒネや私と分身赦す旅


【句集『白百合亭日常』をめぐって】


 てんてん  竹井紫乙
川柳を始めて約八年程で第一句集を作成することになり、師である時実新子に選句を依頼するにも句数が少なく、必死で毎日句作せねばならなかった。おそらくあの作業をさせることも、師の思惑だったように思う。飛ぶように売れるはずもない句集を自費で作るということは、自分で自分に重しを付けるようなもの。

それでも第二句集は必ず作成するつもりでいた。その作業を終えれば、師への最低限の恩返しはしたことになる。そういう句集を作りたかった。

柳本々々からあとがきの原稿を受け取った時、作業が成功したことを確信した。
時実新子と柳本々々を繋ぐ点々としての役割は無事完了したわけで、私は今とても自由である。


【竹井紫乙・プロフィール】


  •  たけい・しおと。1970年 大阪生まれ。1997年 川柳を始める。2005年 句集「ひよこ」。2015年 句集「白百合亭日常」。「びわこ番傘」会員。ブログ「白百合亭日常」

 

3・・・野間幸恵


   *やぎもとは句集『WATER WAX』(あざみエージェント、2016年3月)のあとがきを担当

【俳句作品】


 太郎のことは  野間幸恵

漂えばいらん・いらくは開く音

失望はやわらかいパンのままかしら

近江まで音色はつづく知性かな

平面を次々広げ午後3時

くりかえす太郎のことは電車だね


【句集『WATER WAX』をめぐって】


 風船から  野間幸恵
今回の句集を出してから気分はずっと大きな風船の中にいます。第1と第2の句集の時は発行と同時に次なる俳句を求めて作り始めていましたが、今回は走れない。その理由は分かっています。句集制作の途中で俳句の同志ような人が突然亡くなったからです。発行まではなんとか頑張りましたがその後、風船に入ってしまいました。

以前、庭の大きな木が一本枯れたとき、植木に疎い私は狼狽えました。枯れたまま置いておけず、根元から抜くこともできなくて、幹を地面近くで切りました。その結果できた空間の大きいこと。慄きながら唖然としたまま放置してしまったのです。すると近くの樹木が見えない速度で枝葉を伸ばし、気がつくと以前とは違う景色だけれど、いつのまにかさみしい空間が無くなっていました。
私もそんな感じで彼女の居なくなった空間を一年近くかけて埋めてきたのかもしれない。同じ景色ではないことを自分に言い聞かせながら。

生きていること、俳句を作り続けることは違う景色を受け入れていくことなのだと、風船から出ようとしてます。


【野間幸恵・プロフィール】

  •  のま・ゆきえ。1951年、大阪在住。句集「ステンレス戦車」「WOMAN」「WATER WAX」



4・・・川合大祐


   *やぎもとは句集『スロー・リバー』(あざみエージェント、2016年8月)の選句作業を担当。

【川柳作品】


 2017年前夜祭  川合大祐

椅子のないメトロン星の座り方

必殺の・ぼくらの・ために・死ねビーム

よく練った即興曲だいますがり

無人機の中にかがやく蠅の王

よく当たるドロップキック前夜祭


【句集『スロー・リバー』をめぐって】


 スロー・リバーなんかこわくない  川合大祐
『スロー・リバー』のあとがきに「うな丼のタレが余ったら送ってね」と書いた。「あれどういう意味?」とよく聞かれることになったが、あれ、吾妻ひでおさんの『うつうつひでお日記』での「ポテトチップがあまったら送ってね」というギャグをパクったんである。大体においてこういう方針の句集だと思って頂くとありがたい。ありがたいと言えば、おかげで全国各地からうな丼のタレを送ってもらった。やはり関ヶ原を境にして味が違ったし、フランスのタレはセーヌの味がした。中には空き瓶をくれて、「これでうな丼を食べたつもりになってください」とあったので、白紙を送り返して「これで読んだつもりに」……。噓ですが全体的にそんな句集です。


【川合大祐・プロフィール】

  •  かわい・だいすけ。1974年長野県生まれ。2001年より「川柳の仲間 旬」所属。2016年、第一句集『スロー・リバー』。ブログ「川柳スープレックス」共同執筆者。



5…岩田多佳子
   
*やぎもとは句集『ステンレスの木』(あざみエージェント、2016年10月)の跋文を担当。

【川柳作品】


 三角なとき  岩田多佳子

沸点のとてもマンモスな鞄 
      
えんぴつの芯はときどき鳥の糞

罫線がほほえむ爪を切りながら     

下流からひゅるひゅると上るくちびる

放電をしながら草を食む教授



【句集『ステンレスの木』をめぐって】


 だって・・  岩田多佳子
句集に向かい、いままでの句を厳選しだしたころ、なぜか「序文」や「あとがき」は無しでもよいと思っていた。「要らない」という選択肢もあってもいいのではないかと・・。前田一石さんの選句。もうそれだけで覚悟が出来て、私の脳回路はすでに助走しはじめていた。そんな中でご縁があった竹井紫乙さん。彼女からいただいた句集「白百合亭日常」。柔らかい感覚の読後感。「跋文」の柳本々々さんのすんなりフィットしていて、なおかつ存在感は存分にありながら延々とつづく文。「跋文」?新しい感触だった。特に々々さんの文章は不思議な響きをもっていて本文にすこしも邪魔をしていない。むしろベーキングパウダーだと思った。「ステンレスの木」で新たな々々さんに出会えて、嬉しいショックだったのは言うまでもない。 

        
【岩田多佳子・プロフィール】

  •  いわた・たかこ。2004年から川柳をはじめる。元「川柳黎明舎」同人。京都市出身、在住



6…徳田ひろ子


   *やぎもとは句集『青』(川柳宮城野社、2016年10月)の装画を担当。

【川柳作品】


 嘘  徳田ひろ子

雷の真下で嘘はうつくしい

絶対音感嘘つきだけが寄って来る

嘘っぽい話が好きなピロリ菌

雪のんのん嘘をつくにはちょうどいい

問三の嘘の定義を述べなさい



【句集『青』をめぐって】


 文字力  徳田ひろ子
去年の11月に初めての句集をだした。川柳を始めてもうそろそろ30年近くなるが、句集なんて暇な後期高齢者が出すものと思っていたし、川柳をこんなしつこくやれると思っていなかった。句も何かに残す事もしなかったし昔の句など書き捨て、川柳なぞいつ辞めてもよかった。考えが変わったのは先だって亡くなった親友が寄越した遺品の中にあった彼女の個人誌。発刊から亡くなる迄の20数年間分を見てからだった。中には昔の私がいた。即吟や句会、大会での私の句があった。忘れていた当時が鮮やかに甦って胸が詰まった。書き手が亡くなったのに文字として残ったものは長い旅をして誰かに感動を与え誰かの希望、道標となれるのだと、その時初めて気がついた。ぐずぐず、もたもたしてる場合じゃない、句集を出そう! この思いを活字として残そう。

5年の長い長いスランプとブランクをその時私は完全に振り切った。


【徳田ひろ子・プロフィール】

  •  とくだ・ひろこ。1956年青森生まれ。昭和天皇が下血入院した年に川柳に足を踏み入れてしまう。現在岩手県盛岡市玉山在住、近くに石川啄木記念館がある。おかじょうき川柳社、いわて紫波川柳社、川柳宮城野社、川柳柳山泊、川柳 湖、川柳ふらすこてん、川柳北田辺、ネット川柳会はじめの一歩など



7…安福望 (+1/2 柳本々々)


   *2017年2月にやぎもとと共著『きょうごめん行けないんだ』を刊行予定。

【絵】




あなたが見せてくれた宇宙はまだ無臭 (絵:安福望、句:柳本々々)



【『きょうごめん行けないんだ』をめぐって】


 言いにきたんだ  安福望
本には「きょうごめん行けないんだ」というタイトルをつけましたが、このタイトルには、「あしたは行けるかもしれない」という意味が含まれています。でもあしたになったらまた「きょうごめん行けないんだ」と言うかもしれません。その意味も含まれています。でも、わざわざ会いに行った上で、「『きょうごめん行けないんだ』と言いにきたんだ」とあなたの前で言うかもしれません。そういう意味も、含まれています。

【安福望・プロフィール】

  •  やすふく・のぞみ。イラストレーター。短歌が好きで一日一首、短歌から絵を描く。『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』が発売中








参照付録

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