2015年4月17日金曜日

 【時壇】 登頂回望その六十一 / 網野 月を

(朝日俳壇平成27年4月6日から)
                       
◆春愁や死は怖れぬと言ひつつも (横浜市)松永朔風

稲畑汀子と大串章の共選である。「言ひつつも」ということは愁えているのだ。中七座五は「・・も」で止めて反語的に処理している。当然、「実は・・」なのであって余韻を残すというより、続く文言を言わないで確実に言う方法である。詩の叙法として是非論があるかも知れない。

◆異国めく光も午後の彼岸かな (船橋市)斉木直哉

金子兜太と長谷川櫂の共選である。長谷川櫂の評には「三席。やけに明るい春の光があふれているのだ。まるで別の国へ来たかのよう。」と記されている。「午後の」ということは、評とは反対にもしかしたら光の量は僅少なのかもしれない。「後」という文字のイメージは光の強さや多さと反比例することもある。また上五の「異国」は何やらヤシの木の茂る港をイメージさせることが多いであろう。少なくとも評者はそう解釈している。「異国」は日本列島よりもより高緯度にある場合も想定される。

◆卒業し起こされるまで寝てをりし (栃木県壬生町)あらゐひとし

長谷川櫂の選である。春休みを謳歌しているのであろうか。作者自身のことなのか、身内の誰かのことなのかは判然としないが、深読みすると、他の意味を紡ぎ出しているところに気付く。そこが面白いし、俳諧味がある。


「俳壇」の欄外に「うたをよむ」があり、今回は黛まどか著の「三津五郎さんの俳句」と題したエッセイが掲載された。

◆凍鶴のそのひとあしの危ふさは
◆初島を遠くに見せて虎が雨
◆昭和さへ遠くとなりて草田男忌
◆討入の芝居のあとのひとり酒
◆楽屋出で花散る街の人となり

句集としてまとめて貰って是非他の御句も拝見したいものである。揚げた句のどれもが歌舞伎に繋がっているように感じる。「凍鶴」「虎が雨」「討入」などは歌舞伎のアイテムそのものである。
ご出席されていた「百夜句会では三津五郎さんの忌日に「海棠忌」を提案している。」と書かれている。愛花に因んでのことだそうだ。



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