その五十九(朝日俳壇平成27年3月23日から)
◆春塵や車を積んで車行く (東京都)齋木百合子
長谷川櫂の選である。新車・中古車の車両を積載して運搬するトレーラーである。大型のものから超大型のものまでその大きさは様々だ。そのトレーラーが春塵を巻き上げながら爆走している。将に上五の季題の「春塵」が相応しい。上五の切れ字「や」は断絶を含む強い切れを示すが、この「や」は感嘆というか、驚愕を示しているようだ。
◆被爆地の空高々と鶴帰る (大村市)小谷一夫
大串章の選である。作者は大村市在住だ。大村市は長崎市の北に位置している。大村市の西側に広がる大村湾内には、市から程近いところに長崎空港が浮かんでいる。たぶん上五のこの「被爆地」は長崎のことであろう。
掲句は五七五のリズムでも読めるし、また「空」の後で切って読むこともできる。ほとんど句意は変わらないし、どちらで読んでも想像する情景はほぼ同じである。句意が変わらないだけに上五の「の」の使用方法が気になって仕方ない。
◆言い残すことの多さよ夕桜 (熊本市)永野由美子
稲畑汀子の選である。句意の是非については云々しないが、この言い回しの方法には意味が異なってしまうが、類する他の言い回し方があるかも知れない。言い残したこと、言い残せなかったこと、言わなかったこと、言ってしまったこと、言わなければ良かったこと、など等だ。多いについても、無い、少ない、少し、半々、など等と多様だ。その中からこの組み合わせを選んだ。もちろん作者の実感が籠っていて、表現したいことであるのだけれども。
他には言い残したいこと、言い残さなければならないこと、と積極的に感情が移入される場合もあるだろう。座五の季題「夕桜」があるので、作者は極力客観的な叙法を選択したのである。
その六十(朝日俳壇平成27年3月30日から)
◆春寒や別れを惜しむ梯子酒 (芦屋市)田中節夫
大串章の選である。三月は別れの季節である。卒業式や職場の異動が多い。それら別れ難い友人や同僚とついつい梯子酒になってしまった。人情である。上五の「春寒や」が中七座五の句意に、いわゆる密着し過ぎだが、体感もさることながら心情を表現しているのだ。解り易くてホロリとくる句である。
◆白樺の梢細々と春の雪 (北海道音更町)信清愛子
稲畑汀子の選である。雪景の中に初めて「白樺の梢」の細々とした様態を確認することが出来た。「梢の雪」という表現もある。この場合は梢につけた花を雪に喩えて言う表現だが、通うものがあるように思う。「梢」の後にきれがあるだろうか。
◆水温むのけぞる家やかがむ家 (さぬき市)野﨑憲子
金子兜太の選である。評には「野﨑氏。擬人化した風景に春の不思議な気分あり。」と記されている。何と言っても中七の「のけぞる家」、座五の「かがむ家」が圧巻である。評のように擬人化が効果大である。上五の季題「水温む」が春における万物の動き出す様子を引き出していて、この季題の斡旋が盤石な分だけ中七と座五の擬人化が浮ついた表現にならずにある。
◆春の池わが顔憶えゐて映す (岐阜市)石田静韻
金子兜太の選である。氷が解けて水の面が鏡に戻った時、冬に氷が張る前に映したであろう同じ「わが顔」を映し出していることに気付いた。魔法のようであり、自然の理りの様でもある。「ゐて」が狙いのはっきりした叙法ではなくて、心情の向かうベクトルを指示している。
◆子猫の眼疑ふことを知り初むる (前橋市)荻原葉月
長谷川櫂の選である。無垢なものが知恵を付けて、その自らの罪業に突き当たるのだ。宗教的でさえあるような措辞である。子猫が徐々に知恵を付けてゆく過程で、作者はその子猫に哀れを感じたのだろうか?生きる力を感じたのだろうか?
◆蒸鰈見詰めてゐたき炎かな (豊橋市)佐原弘一郎
長谷川櫂の選である。蒸鰈を焼いているだろう七輪か何かの炎に見入っている様であろうか。火はどんなに見つめていても飽きないものだ。其処には海の波と同じ感覚がある。・・もしかしたら焼き加減の頃合いを計っているのかも知れない。食いしん坊の言である。そのくらい蒸鰈の焼き加減は難しい。
0 件のコメント:
コメントを投稿