2021年3月12日金曜日

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(8)  ふけとしこ

   草へ

三椏が咲いて水車の回り出す

春雷や感染症はヒトにトリに

道端の草へしやがんで雛の日

ふきのたうぽつと離れてかたむいて

逃水に追手をかけてやらうかと

     ・・・

「福家さんのお父さんって、もしかしてうちのお父さんの知り合いではなかったのかしら?」と母が言うのですけれど……といった内容のメールが届いた。「俳句新空間」でお世話になっている北川美美さんからのもの。3年前のことだった。

私は俳号として仮名書きの「ふけとしこ」を使っているが本名は福家登志子と書く。これは夫の姓なので、お父さんというのは義父のことになる。大連に育ち満州医大を卒業後、満鉄病院に医師として勤務していた。その後海軍の軍医として青島に移ることになる。敗戦で引揚げた後は大津市の親戚を頼って、しばらくはその地で医院を開いていた。大阪の地へ移ったのは昭和27年だったと聞いている。

で、双方で驚いて何度か遣り取りをした結果、北川家の知り合いの福家さんと私の義父、福家富士夫とは同業でありかつての勤務先も同じであっても、やはり別人だという結論になった。福家という苗字がそんなに多いものではないので、私の葉書をご覧になった美美さんの母上がもしかして……と思われたのも無理のないことだったと察しがつく。が、故人のことであり、かなり古い話でもあるから、それ以上のことは探れなかった。年齢が少し違うのは確かであった。

後日、美美さんから福家富士夫著『十二支物語』をネットで見つけて購入しました、とのお便りがあった。義父は大阪の同人誌に所属しており、趣味で短編小説を書いていた。それを纏めた物の一冊が『十二支物語』だったのだが、私が福家でなかったら生まれることのないエピソードであった。

そんなことからご縁を頂いた北川美美さんが亡くなったと知ったのは筑紫磐井氏のメールだった。まだお若いのに……。逆縁になってしまった母上のことを思うといたたまれない。今年は年賀状が来ないのね、などと呑気なことを思っていた私だったが、美美さんは重篤な状態だったのだ。知らなかったとはいえ、申し訳のないことだった。

今は、ご冥福をお祈りしますとしか申し上げようもない。        

 

鳥骨を組み立ててゐる日永かな 美美

春夕焼錦町には君在りし    としこ

(2021・3) 

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