今回、幸運にも初めて纏まった西村麒麟氏の作品を読む機会を頂いた。第二句集「鴨」は、西村氏のプリズムを通した柔らかな光が放つ一冊と思量する。惹かれた句を以下に挙げる。
宝舟ひらひらさせてみたりけり
雛納め肌ある場所を撫でてをり
一句目、七福神などを乗せた宝舟の絵は、元旦か二日の夜に枕の下に敷いて寝ると良い初夢が見られるとされているいわば縁起物。舟は重量度外視のお宝を積み、描かれた七福神も皆破顔、お目出度い雰囲気に溢れている絵だ。珍しくてひらひらさせてみることはするかもしれないが、それを句に詠める人はなかなかいないのではないだろうか。そこを句にできるところが西村氏だと思うのである。ひらひらさせたなんて言ってしまったら満載の宝がちょっと零れ落ちてしまいそうだし、夢の効果が半減してしまいそうだし。だがこの行為が正月の晴れやかさと通底しており、目出度すぎずに新年の句として成立させている点、手際よい。
二句目、一読、句の作者は男性とわかる。来年まで会うことのない雛人形を愛しむのは女性で、髪はそっと撫でるかもしれないが顔には直接指で触れないだろう。手や足を撫でるというのも考えにくい。大事な人形を汚さないように配慮が働くからだ。作者は雛納を手伝いながら興味を持ち撫でてみた、という句だろうか。中七の表現から、着物から出ている手足を撫でたのだろう。確かに細くて、硬そうで、つるっとしていて、触感を試したくなるかもしれない。
二句に共通し、遊び心―茶目っ気―が溢れている。
裏返るその盆唄を愛すなり
山の名を知らぬまま行く紅葉狩
この二句にはぶれない潔さがある。
一句目、裏返るそこがいいのかもしれないし、盆唄としての哀愁が漂う。何気ない表現にきちんと季題の本質が押さえられている。
二句目、大事なのは其処が何処か(場所)という点ではなく、紅葉狩り(内容)であって、誘われて共に行く人なのかもしれない。だからこそ、その見事な紅葉を観るために、迷いなく深山を踏み分けてゆけるのだ。
露の世の全ての露が落ちる時
真つ黒に錆びてゐるのが狐罠
秋茄子の人数分が水の上
いずれの句も読み手の想像力を刺激する。見えないものを見せるためのヒントがこれらの句にありそうだ。一句目のその時を想像すると救いようのない静寂が広がる。二句目の今は使われていないが狐罠のこれまでを想像すると狐だけに生々しい。三句目、汲み上げた澄んだ清水に浮く秋茄子の紫紺のつややかさ。私が想像するもてなしの秋茄子は六個だ。
烏の巣烏がとんと収まりぬ
写生が効果的な句だ。坐り直す時の描写の中七に実感がある。大切な卵やヒナを羽の下にちゃんと納めて坐った烏が頼もしい。収まったと見て取ったところに安心感があり、季題が動かない。
作者独特のプリズムが働いた一物仕立ての句が好もしい。以上の句は「北斗賞受賞作品」にはなかった句だ。先に「思ひ出帳」を読んだ時に惹かれた句は、また別にある。
入社試験大きな声を出して来し
侍の格好でする鏡割
草相撲代りに行つて負けにけり
初雀鈴の如きが七八羽
浮かんだり沈んだりして鯨かな
蛍の逃げ出せさうな蛍籠
鈴虫は鈴虫を踏み茄子を踏み
八月のどんどん過ぎる夏休み
最後に、「北斗賞受賞作品」、「鴨」から厳選した十句に共通する二句を挙げたい。
白玉にひたと触れゐて白玉よ
秋の昼石が山河に見えるまで
よく見ることで授かる句が、読み手の心に呼びかけてくる。一句目の中七の触感は「くっついている」様を「ひたと触れゐて」と表現したことで白玉らしさを描き切っている。二句目、集中して見入っていると他のものは見えなくなってただ石の形状だけがクローズアップされる。光と影の陰影が明確になる秋の昼に自然のあり様に見えてくるまで石をじっと見る。掲句と対峙していると、静かだが腹を据えた意志の強い句が立ち上がって来る。
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