2020年3月27日金曜日

【抜粋】〈俳句四季4月号〉俳壇観測207 結社はどこへ行くか――俳壇35年の回顧から見えてくるもの 筑紫磐井

俳誌の減少
(前略)
 「俳句年鑑」に載っている雑誌の数で一概に結社の衰退を語ってよいのかはあるがが、「俳句年鑑2020年版」を見るとこの数字はさらに減少して、589誌となっている。
 そこで、「俳句年鑑2019年版」と「俳句年鑑2020年版」を比較してその増減の変化を見てみると、次のようになる。
(中略)
 具体的な誌名を見ると納得できるものもあるが、今更ながらにその変化の激しさに驚かされる。さらにこれらを10年間に限り推移をまとめてみると次のようになる。

 西暦    雑誌数    自選5句人数    (俳壇)雑誌数
2020  589   637        ー
2019  607   640        670
2018  633   656        700
2017  640   628        740
2016  650   637        760
2015  662   646        790
2014  673   662        790
2013  716   671        790
2012  770   694        790
2011  786   707        790

雑誌数の他に指標となる自選5句掲載人数、そしてライバル誌「俳壇年鑑」の雑誌数(2020年版は未刊)も掲げてみた。なお「減少」とは厳密に終・廃刊した雑誌ばかりではなく、「増加」も創刊された雑誌ばかりではない。年鑑での雑誌名の消滅・出現だけを意味するが、およそのイメージは分かる。

俳句年鑑の見方
 注意しておきたいのは「俳句年鑑」の掲載方針だ。私が俳壇というものに関心を持ち始めた1985年以降のことを回顧してみよう。
 「俳句年鑑」は1988年までは俳誌総攬に掲載されている雑誌数は250誌程度であった。この頃は〈エリート結社誌〉総攬であったのだ。しかし、1988年に秋山編集長が就任し、1990年「結社の時代」のキャンペーンを張った頃から400近い誌数に増えて行く。これは秋山に協力して「結社の時代」特集に参加した結社が300ほどあったからその意味ではいわば〈秋山シンパの結社誌〉総攬の数字であった。その後1998年に海野編集長が就任し大幅な年鑑の改革――結社を網羅し、本格的な結社の時代を企図したものだろう――してから774誌と倍増しており、いくばくもなく830誌となっている。〈結社の時代〉が可視化された総攬と言える。「俳句年鑑」の掲載雑誌のピークは確かに涼野の言うように2006年前後であり、それからは減少しているのだが、これは参考に挙げた「俳句年鑑」のもう一つの指標である自選5句掲載人数もほぼ同じ傾向をたどっている。
 しかしこれが俳句界全体の活力を測る指標に直結するかはまだ疑問である。実は「俳句年鑑」の頁数は2010年の644頁から2020年の542頁に大幅減少している。雑誌の頁数が100頁以上減少するのだから、記事内容が縮小しても当然のはずであった。この限りではむしろ編集方針の反映といえなくもない。
 従って、これは他の媒体の数値と比較して見る必要がある。参考に掲げたのは本阿弥書店の「俳壇年鑑」であり、ここでは2015年まで俳誌は横這いで、それ以後「俳句年鑑」の数字より急速に減少している。また、すでに終刊してしまった「俳句研究年鑑」は、途中までの数字しか分からないが、1997年の752誌が2005年には700誌に減っている。
 年鑑の結社雑誌の動向の指標はこのように比較検討して初めて実体が分かるのである。ただその結論は、いずれにしろ俳誌は顕著に減少・衰退しているということだ。私が掲げた「減少」している雑誌に問い合わせればその理由も自ずと分かるはずだ。
 しかしこうした事実は、はるか以前から分かっていたはずだ。「俳句年鑑」の結社数拡大に貢献した海野編集長は当時こう語る。

 「結社誌・同人誌の増加がそのまま俳句の隆盛を意味すると考えるのは、少し楽観的すぎる気がする。編集の現場にいれば、いわゆる「俳句ブーム」なるものがすでに終わっているのはあきらかである、と感じるのだ。」(「俳句年鑑2000年版」編集後記)

 「結社の時代」以後俳句ブームは衰退する。結社の時代から結社衰退の時代に変わったのではない。結社を衰退させたのは俳句上達法特集にかまけた「結社の時代」キャンペーンそのものであった。我々はその30年前のとがめを受けているのである。

※詳しくは「俳句四季」4月号をお読み下さい。


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