2016年8月12日金曜日

【抜粋「俳句四季」7・8月号】 <俳壇観測162回 関悦史の独自性―――震災・社会性をめぐる若い世代> <俳壇観測163回 社会性をめぐる若世代(続)―北大路翼と椿屋実梛を対比して> 筑紫磐井

【抜粋「俳句四季」7・8月号】



(前号の記事だけではよく分らないかもしれないので追加しておく)。



■俳壇観測162回/関悦史の独自性―――震災・社会性をめぐる若い世代 

筑紫磐井



●関悦史

・・・「オルガン」メンバーのひとり田島健一は「俳誌要覧2016」の鼎談で「(現代詩だと和合亮一、短歌だと斉藤斉藤とあげた上で)俳句の世界だと関悦史さんを中心にそういった機運が出てきてもいいんじゃないか」と述べているからだ。照井翠、御中虫、高野ムツオとは差別化して、同世代の関悦史の独自の活動には注目しているようだ。
ちなみに、関は第一句集『六十億本の回転する曲がった棒』で、

地下道を布団ひきずる男かな 
祖母がベッドに這ひあがらんともがき深夜 
  WTCビル崩壊
かの《至高》見てゐしときの虫の声 

人類に空爆のある雑煮かな 

激震中ラジオが「明日は暖か」と 

セシウムもその辺にゐる花見かな

等を詠んでいるが、昭和三〇年代の社会性俳句を脱却した、現代の社会性(ホームレス、介護、テロ、戦争、震災、原発事故)を詠む。と言うより関の周辺の出来事として詠まざるを得ないのである。関はこれらの状況に「無関心」ではない。
こうした関の関心をたどると、例えば(「オルガン」のライバル雑誌となる「クプラス」で同行している)高山れおなとか、さらには(関のデビュー評論となった作家論の作家)攝津幸彦などの周辺環境があることに気づく。

げんぱつ は おとな の あそび ぜんゑい も   高山れおな 
国家よりワタクシ大事さくらんぼ        攝津幸彦

関も含めて、彼らは社会に関心がある。しかし決してそれらについて直接「語り」はしない。斜視的であり、懐疑的であり、俳諧的である。というよりは、作者自身が解釈を語らず、多義的であるが故に何を言っているかわからない俳句なのである。毀誉褒貶は鑑賞者が勝手に行っているだけなのだ。社会的な関心にかかわる俳句以外にも、およそ彼らはことごとく既存の俳句に異を立てることを自らの俳句のレゾンデートルとしているようである(「オルガン」で批判された御中虫にもそうした傾向がある)。だからこんな作品がある。


皿皿皿皿皿血皿皿皿皿    関悦史 
麿、変?          高山れおな 
太古よりああ背後よりレエン・コオト   攝津幸彦

こうした無方法の方法の中では、社会性も何もあったものではない。ただ社会的な事件がこの無方法の中を通過して行く。決して反戦・反原発・反前衛でもないし、震災対応に対する憤りでもない。鑑賞者が勝手に過剰な鑑賞を施すだけなのである。



■俳壇観測163回/社会性をめぐる若世代(続) ――北大路翼と椿屋実梛を対比して   筑紫磐井

●北大路翼『天使の涎』(二〇一五年四月邑書林刊)

毎年意欲的な句集を顕彰している田中裕明賞が、今年は北大路翼の『天使の涎』に決まった。昭和五三年生まれの三八歳。歌舞伎町の風俗を素材とした、猥褻きわまりない作品集だ。内容については、「俳句四季」一〇月号の「名句集を探る」で紹介される予定なので詳しくは説明しないが、例句を上げなければ理解できないだろうから一部を紹介する。

ただ、「名句集を探る」で取り上げられた句、またこの座談会以外での批評を含めて多くの俳人が取り上げた句を集めると、それだけで『天使の涎』のイメージが出来上がるかといえば、決してそんなことはない。評者が取り上げた作品は、俳句として確かに立派に成り立っているだろうが、むしろ『天使の涎』の最もインパクトのある句は多くの評者の絶対に取り上げない句の方にある。

ちんぽこにシャワーをあてるほど暇だ 
たまきんがのびきつてゐる扇風機 
天高し穴兄弟と棒姉妹 
OH!チンコと原爆を落とした国の人 
コンドームつけない人とビーチバレー

このような作品に眉を顰める人も多いと思うが、正岡子規の新俳句も、河東碧梧桐の新傾向も、日野草城の都ホテル俳句も、中村草田男の人間探求派も、西東三鬼の戦火想望俳句も、社会性俳句や前衛俳句も、眉を顰められていたことを思えばそれだけで否定することはできない。多くの評者が取り上げた以外の句の価値――かつそれが『天使の涎』の本質なのだが――を考える必要がある。

実は北大路が最初にデビューしたのは『新鮮21』という選集であり、この中で「貧困と男根」と題してより過激なエロス――自分が寝た女達二〇人の名前と性格やベッドでの性癖を列挙するという露悪的な群作を発表した(『天使の涎』には残念だが収録されていない)。同じ選集に、上品な高柳克弘や神野紗希、佐藤文香と並ぶことでひときわその異常さが印象付けられたのだ。(もちろんほとんどがフィクションなのだが)一種のヒール(悪役)の役割を自ら負ったのが北大路であり、今回の句集は出るべくして出たのかも知れない。ただ、今回の二〇〇〇句の作品の破壊力が、「貧困と男根」一〇〇句に比べてより強いかどうかは難しいところである。





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