2016年1月8日金曜日

『天使の涎』を捏ねてみた -北大路翼句集序論ー   / 竹岡一郎



「びーぐる」29号に載せた北大路翼論を転載するに当たって、この論を書くに至った縁由を書けと、筑紫磐井さんからの要請である。要請に応えて、甚だ不明瞭ながら、思う事を綴ってみる。

まず、「天使の涎」は作者からは送られてこなかった。「鷹」という伝統結社の無鑑査同人など、「天使の涎」にとって最も相応しくない読者であろうから送るだけ無駄、と北大路翼は考えたのではないかと思ったりもする。

読みたい気持ちを抑えられなくなったので、夏になってから、とうとう自分で買った。しかし、作者の近影写真をあらかじめ見ていたため、こんなヤクザめいた風貌の者とは付き合いたくないな、とも思っていたのだ。中身を開けてみると、これがまた実に読み難い。こんな薄い本に二千句も詰め込んだら、読みやすい筈はないのである。一応最後まで読んでダメだったら捨てようと思った。まず否定ありき、で読み始めたことを、此処に告白しておく。とりあえず最後まで読んだ。それからもう一度最後まで読み、三度最後まで読んで、これは、と思った。四度目は、良いと思われる句に付箋をつけてみた。ピンクの表紙の本の上に緑の付箋がブロッコリーのように実った。五度目に余程良いと思われる句を書き抜いてみた。かなり厳しく批判的に書き抜いた。付箋つけた句を全部書き抜くと、手が疲れてしまうからだ。原稿用紙五枚、百句余り書き抜いた。

「びーぐる」で私が与えられている枠は原稿用紙にして十七枚弱、他に予定していた作家は何人かいたのであるが(実に端正な句風の、しかし既視感甚だしい伝統若手作家について書こうかと思っていた)、書き抜いた北大路句を読み直している内、評したくて我慢出来なくなった。

二千句の内、千五百句は取れない。五百句は佳句、更にその内、百句は胸揺さぶられる句だ。これは伝統俳人の句集と比較する時、驚異的なヒット率である。例えば、三百五十句が句集の平均的な収録句として、八十句も類想や既視感なく読める句が有り、内十七句に胸揺すぶられる、そんな句集が一年の内に何冊出るだろうか。

ここ一、二年の内にそんな感銘を受けた句集というと、例えば、高野ムツオの「萬の翅」、渡辺誠一郎の「地祇」、宇多喜代子の「円心」等が浮かぶ。明確な問題意識を常に持っている俳人の句集に佳句が多いのは当然であるから、北大路翼の句集も彼の、新宿歌舞伎町という混迷へ向ける眼差しを思えば当たり前なのであるが、それにしてもたった三年の句業である。若さゆえと云っても、やはり常人以上のエネルギーがあろう。

尤も、私なら、五百句に凝縮する。全く既視感の無い五百句で以て狼煙を挙げる。その狼煙は五十年後に良く見える事と成ろう。「天使の涎」に類句類想があるという意味ではない。広く世間を見渡した時、俗情に凭れる部分が千五百句あるという意味である。それは必ずしも欠点ではない。斜めに見れば一つの戦略であり、好意的に見れば北大路翼の優しさであろう。切り捨てる俗情など無いという優しさだ。そのことは本論中に書いてある。

その俗情は、伝統俳人達が褒め称えてやまぬ、いわゆる「日常性」ではない。むしろ健全な市民が目を背け、眉を顰め、見ない振りをして通り過ぎる俗情だ。置き捨てられた者達の俗情であり、祈る事を知らぬ者達の意識せずして行われる祈りであるかもしれぬが、いわゆる幸福なる「日常」ではない。

人が「日常」というとき、それは出来るだけ問題意識無い、健全な市民生活の形態を指している。しかし、高度成長期を裏で支えていたのが朝鮮特需、ベトナム特需であったことを鑑みるまでもなく、「日常」は地獄に支えられている。だが、それは見てはいけない。見ない事が正しい俳人の在り方だ。

「俳句は極楽の文学である」と虚子は言い、その極楽の背後には地獄があるというのが一般の解釈であろうが、本来、虚子が言う事ではない。それを渡邊白泉が言うなら、或いは石田波郷が言うなら、或いは三橋敏雄が言うなら、重く響くであろう。だが、文学報国会において俳壇を主導した虚子が言う言葉ではない。

地獄に支えられながら何事も無き如く見える「日常」に俳人は懈怠し、怯懦し、諦め、その「日常」を受け入れることが俳句の目的の全てであり、それ以外に此の世で達成すべき高みは無いように思い始めているのだろうか。俳句で詠うべき事と詠うべきでない事を暗黙の了解の内に設定し、他のジャンルの見方を取り入れることを忌避することにより、清らかな小器である安全地帯を作り出し、その地帯の狭さゆえに頻出する類句類想に目をつむってでも、そこに生涯留まりたいのだろうか。遂には、その穏やかなる「日常」を絶対視し、俳句なる形態の核と見做し、あろうことか聖性化し始めるかもしれぬ。(この世の果ての地獄の袋小路を抜けた曠野に佇むたった一人こそが聖性を仰ぐのであるが、その聖性は、世を謳歌するという目的にとって、ましてや結社の拡大という目的に当っては甚だ邪魔であるからして、それ以外のよりお手軽な、誰もが容易に到達できる「日常」を聖性化せねばならぬ。)


その時、遂に俳句は文学たる事を止め、伝統芸能と化すだろう。その時の為の言い訳はずっと前から用意されてきた。即ち、「俳句は文学ではない。」私はそれを信じたがっていた時期があった。骨董に耽溺していた頃だ。黙って見ればピタリと判る眼を信じたかった。俳句は例えば、桃山の焼き物を目指すものだと思っていた。今はそれを信じない。なぜなら、それを信じるなら、もはや俳句を作る事は無駄だ。高野素十や中村汀女のような天才を読めば足りる。現代において、彼等ホトトギスの大作家の上に更に付け加えることなど何も無い。

茶道においては、江戸期以降の衰退した茶碗を誉めるために、様々な見どころが設定され、その衰退した形式(「戦国の、殺し合いと隣り合わせにある緊迫した友誼の形態」、ではない茶道)を保持するために、茶人は「結構なお点前です」というのであるが、俳人はその「結構なお点前」を褒められるために、茶碗の見どころを事細かに設定する如く一句の見どころを予め設定し、俳句という形式に安心を求める人々の為に、堅牢な白い巨塔の如きを作った。

かつて青山二郎が「日本の陶器」というエッセイにおいて、現代の茶道を批判した一文を思い出す。『集って来るのは「新しい信者」だけである。新興宗教が何十万人の人間を集めても、信者は信者であって、それが世間では無いと気が付いた雑誌はない。』

その信者同士、教団同士のバランスを取るのが俳壇政治というもので、それは本来、文学とは何の関係も無い。

政治といえば、かつて藤田湘子が酔っ払うたびに繰り返し私に絡んできたことを思い出す。湘子は苦虫噛み潰したような顔で、いつもこう言ったのだ。

「一郎、俳壇は政治だ!」

それが湘子の戦争宣言だったのか、自嘲だったのか、憤懣だったのか、諦めだったのか、恐らくそれら全てであっただろう。私が返す言葉はいつも同じだった。

「先生。それは承服できません。」

湘子はそれを聞くと、いつも黙ってしまうのだった。

私はそれを承服する訳にはいかない理由があった。それを承服すれば、俳句は志賀直哉かもしれぬが、中上健次ではなくなり、政治力を持つ者とその帰依者達による既得権益の宴であって、たった一人で神話に抗し世界に抗する最速の詩ではなくなる。

また、小澤實に私は言ったことがある。

「俳句だって詩じゃないですか。詩として優れているかどうか、それだけが判断基準でしょう。」

その時の小澤實の悲しそうな顔が、二十年経った今でも忘れられない。

「一郎、それはそうだ。だが、そう言い切れる奴は少ないんだ。」

その時、私と小澤實の間で論じられていた「詩」とは、何よりも「言葉が神秘の力を持つ組み合わせ」という意味だった。詩は日常に潜む事もあるかもしれぬが、ひとたび詩がその神秘を顕し咆哮する時、詩は「日常」を遙かに凌駕する。

「天使の涎」は相当売れたと聞く。インターネットなどを調べると、伝統俳人でない一般読者に支持されたのは事実である。そのくらい売れた句集といえば、娼婦俳人と呼ばれた鈴木しづ子の句集がかつて五千部売れた事を思い出す。鈴木しづ子は俳壇が黙殺しようとし、その黙殺は一時的に成功したように見えたが、近年復活し、また広く読まれるようになった。本当に力がある作家はどんなに黙殺されても、必ず復活する。作品に否応ない力があるからだ。攝津幸彦がその良い例だろう。私は、攝津の、あの軽やかな神秘を未だに解明できていない。そして俳壇は未だに攝津を認めていない。しかし、私ごときがますます確信するまでもなく、攝津は天才である。さて、次に論ずるのは実際の北大路翼ではないかもしれぬ。出来れば天才と化して欲しい北大路翼かもしれぬ。御了承頂きたい。評者は作家に期待するものだからだ。




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