2015年2月6日金曜日

「俳人には書けない詩人の1行詩俳人の定型意識を超越する句」  俳句・自由詩協同企画縁由  / 筑紫磐井



詩歌梁山泊~三詩型交流企画では、現代詩、短歌、俳句の交流を目指して2011年4月に開始されたBLOG「詩客」を開始した。奇しくもその準備期間が東日本大震災の発生にあたり、行方の取れなくなった詩人・歌人・俳人の安否を問う行動と共にBLOGが更新されたのは深い意義があったのではないかと思う。

それぞれ固有の作品発表だけでなく、シンポジウム、詩歌トライアスロン(三詩型融合作品)など野心的な試みを進めてきたが、ある段階から、詩、短歌、俳句の深耕の中からもう一度三詩型を考え直してみようということで、2013年から現代詩にあっては「詩客」、短歌にあっては「短歌周遊逍遥」、俳句にあっては「BLOG俳句空間(のちに俳句新空間)」がスタートした。それぞれが独立した詩型に閉じこもるのではなく、全体に意を用いつつ3詩型の内部から三詩型交流を目指そうとしたものであった。特に、「詩客」と「BLOG俳句空間」は現在も順調に更新を続けている。

こうした準備を経て、2015年から新しい企画が立ち上がった。その縁由を語ってみたい。

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かつて<詩人が俳句を批評し、俳人が詩を論じている>時代があった。併しこのような時代にあってすら、語り合っている詩人と俳人が、本当に理解しあっているのかどうかよくわからないところがある。あの時代、詩人と俳人は理解しあっていたのか、<詩人が俳句を批評し、俳人が詩を論じている>時代にあってすら誤解に満ちていたのではないか、と考え、反省してみることは重要だ。なぜなら、詩人と俳人は相互理解を進めるための共通批評用語を持っていたのか、という問題にぶつかるからである。これはまさに現代、現在、現実の問題だからである。

「詩客」と「BLOG俳句空間」は、共通批評用語をしばらく措いて、実作で意思疎通を図ることができるかどうかを見てみようと合意することになった。問題は実作の形式である。詩人が俳句を作り、俳人が詩をつくることは、何か欠落しているものがあるような気がする。

こうして「詩客」と「BLOG俳句空間」は「俳人には書けない詩人の1行詩」と「俳人の定型意識を超越する句」を提案する。つまり、詩人の詩、俳人の句でありながら限りなく相手を思いやった作品を作り、考えてみたいということである。これを通じて詩人と俳人の意識の違いをじっくり考えてみたいと思う。華々しい活動ではないが、しかし詩人と俳人が理解し合う、地に足の着いた大事な活動だと思う。

この企画に、積極的に参加していただいた詩人、俳人の方々に深く感謝申し上げる。




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