2015年2月20日金曜日

時壇  ~登頂回望その五十三 ~  / 網野月を

(朝日俳壇平成27年2月8日から)
                          
◆冬晴をフランスパンが通り過ぎ (静岡市)松村史基

稲畑汀子と大串章の共選である。バケットが紙袋からはみ出て突き出している。冬晴れの空の下を「通り過ぎ」ているのだ。ある人物を表現するのに持ち物や着ているもので代替えして表す方法がある。「赤いマント」「夏帽子」「花束」などが好例だ。掲句の場合は、持ち物に代替えさせているのだが、「フランスパン」とは何とも斬新だ。それにしても複雑な技巧を駆使することなく表現しているところが季題「冬晴」に適っている。日常の一コマの景をテーマとして叙すのは俳句の王道の一つであって、掲句はそのものだ。

◆マスク取りマスク美人と言はれたる (香川県琴平町)三宅久美子

稲畑汀子と大串章の共選である。マスクをしている最中に言われるのならまだしも、取り外した後に「言はれたる」は無いものだ。悪口を言い合う仲であるから、余程仲が良いのであろう。自虐の意味合いと受け取るよりも仲良し同士の軽妙な会話を想像したい。

◆風船を持つてゐる手の忘れをり (津山市)池田純子

長谷川櫂と大串章の共選である。一読後には、この頃流行りのもの忘れの句かな?と思ったが、違うようだ。風船を持つ手の感覚がふっと持っていることを忘れるほどに軽いということだろう。風船の浮力が大き過ぎると、返ってしっかり抑え込んで手の感触に抵抗感が残るであろうから、程良くガスが入れられているということだ。そんな春の季感がよく表われている。

0 件のコメント:

コメントを投稿