the Letter from Kakeru Horishita to Bansei Tsukushi , Yuki Nakanishi.
なるほど。大事なところを見落としていたようです。評論を書くために調べたのではなく、相馬遷子がどのような人物であったかを知りたくて調べた。遷子その人への興味が、評論を書く行為以前にあったからこそ、調べるということにこだわった話になるのですね。また少し話が戻ってしまいますが、『俳句界』(2014.11)の俳句評論作家アンケートの、「評論を書くきっかけは?」という質問への答え方に各作家間でスタートラインのずれがあったことを思い出します。たとえば田島和生が「新興俳句運動の旗頭とされた俳誌「京大俳句」(昭和八年-十五年)が太平洋戦争開戦前夜、治安維持法容疑で弾圧されたのを知り、もっと知りたく思った」と答えているのは、遷子研究の動機とよく似ています。そのことを知るために調べる、という発想です。いっぽうで今泉康弘の「小森陽一の講義を聞いたこと。批評とは、作品を既存の見方とは違ったものとして示してみせることだ、という教えに刺激された。及び、落語研究者であった亡き中込重明に身近に接して、「調べること」の楽しさを教えられたこと」という答えは、評論を書くこと自体にモチベーションがあることを示しています。
この二つのモチベーションが並立することは矛盾していません。磐井さんの「正義感」というモチベーションはこれらの重なったところにあるものだと思います。
話に戻ります。「評論の本領」という言葉が出てきました。一人の作家を統合する世界観を浮き彫りにすることが評論の本領であり、それは遷子であれば「がどのようにして生まれたか、どの様に成長したか、どのように絶望したか」を調べることによって見えてくる……磐井さんのお話はそのように理解したのですがいかがでしょう。そのうえで意外だったのは、作家その人の世界観を浮き彫りにすることと、一句にまつわる周辺事情を調べることを、磐井さんが全く区別していることです。一句の理解は、一句だけの事実によってなされるのではなく、一人の作家から生み出されたという文脈を踏まえてこそ、成立しているのですね。
実を言えば「調べることの重要さと不要さがある」という言葉にずいぶん悩みました。上の二点の区別にピンとくるまでに時間がかかったからです。
14.中西夕紀から堀下翔・筑紫磐井へ(堀下、筑紫←中西)
the letter from Yuki Nakanishi to Kakeru Horishita, Bansei Tsukushi
堀下さん佐久に行かれたのですね。遷子のことが話し易くなりました。お正月に行かれたとなると、正にこの句の世界に近い空をご覧になったことと思います。
寒星の眞只中にいま息す 相馬遷子
作家を離れて作品はないのですが、事実関係という側面からではない、作品それ自体からのアプローチの仕方があるのではないかと思ったのです。それはこの句が語っている、静謐感や、与えられている環境の中で充分に役割を果たしている充足感を感じ取ったこと、そこから同じような作句傾向の句を探って行くことをしてみたらどうだろうと思ったのです。評論中の作品の鑑賞は一切の情を絡めてはいけないのでしょうか。磐井さんの文章を読んでいますと、論者の感じた作品から受け取れる情感を極力抑えて書かれているように思われます。しかし、この句などは情に訴えて書くと何か広がるのではないかと思いました。
詩論がそれ自体詩であるという堀下さんの発見は面白いですね。わたしが書きたいと思った感情論的評論は、多分エッセイなのでしょうね。多くの俳句の評論も俳句的なのかも知れません。読者もいい意味での俳句の臭みを評論に感じながら読んでいるのではないでしょうか。俳人同士でないとわからないような論点や言葉が臭みとなってあるように感じられます。
磐井さんの文章では評論の本領を書かれているところをもう少し詳しくお聞きしたいと思いました。一人の作者の作品の全体を統合した世界観が見えてくるときがある。おそらくそれが評論の本領ではないかと書かれています。評論の本領についてもう少し例をあげてお願いできませんでしょうか。
15.筑紫磐井から堀下翔・中西夕紀へ(堀下翔・中西夕紀←筑紫磐井)
the letter rom Bansei Tsukushi to Kakeru Horishita,Yuki Nakanishi
評論の本領等というたいそうな言葉を使ってしまいましたが、そんな大それた事をいうつもりではなかったのです。一句を調べることに関心があるかと言われれば正直言ってそうしたことに関心がありません。ただ一句の世界観につながるディテールは、調べてみないといけないことです。その上で、世界観につながらないディテールは捨て去ります。その意味では私は評論に関心がないのですから評論家ではないかも知れません。しかしそうした評論家でない事が口惜しいかといえばちっとも口惜しくありません。
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話が少し硬直しているようなので、恐縮ですが一寸ここで全く話を変えてみます。もちろん評論の本領と全く無関係の話ではありません。
評論には二種類あるように思います。
断定の評論と疑問の評論です。
疑問の評論は疑問形で結ぶ命題からなり、断定の評論はそれ以外といえます。だから後者は、肯定形、否定形があるし、時には疑問形を使っていますが実は断定の内容を持つ反語もレトリックとしてはあるだろうと思います。
なぜこんな分類をするかと言えば、断定の評論は論者の主張があるから論争が成り立ちますが、疑問の評論は論者の主張が見えにくくしばしば論争が不毛になる可能性があるからです。
例えば、「これは正しい俳句のあり方だろうか」。これが正しい俳句のあり方ではないと言っていませんから、正統な反論が行われれば撤回するという留保が入っているかもしれません。しかし一方で、正しい俳句のあり方についての論者の主張は何も現れていません。
文脈にもよることなのですが、例えばAが虚子論の中でこうした言葉を使えば、客観写生や花鳥諷詠を批判しているように見えますから、相手のBは客観写生や花鳥諷詠を擁護する論をはるかも知れません。しかし、じっさいのところ、Aは客観写生や花鳥諷詠を否定する明言はないわけですから、「これは正しい俳句のあり方だろうか」に触発されて、B自身が自分の内部に客観写生や花鳥諷詠擁護の命題を立て、自らそれの吟味を始めてしまうことになります。つまり独り相撲の策略に陥っているのです。傷つくのは反駁した人ばかりです、「これは正しい俳句のあり方だろうか」と言った人物は高みから見物しているだけなのです。最近こうした論がふえているような気がします。私は以前、これは評論家の単なる文体問題かと思ってきましたが、どうもそうではないようなのです。評論はあっても論争が進まない理由はこんなところにあるのかも知れないと思います。
評論の本領とは直接関係ないかも知れませんが、何のための評論かを理解しないと評論の本領も見えてこない気がする、という点では根っこはつながっていると思います。
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