◆ルビを振る当て字のこころ梅雨晴間 (熊谷市)時田幻椏
金子兜太の選である。選評には「時田氏。仕事に疲れて繊細になっているわが身を労るとき。」とある。解釈は解釈するものの自由である。特に現代アートにとっては大前提となる規掟である。それにしてもこの選評は意外であった。選者は当て字にルビを振っている作者の心中を思い遣ったのである。しかも作者が自分自身に対しての労わりの心からルビを振った、と解している。掲句の場合、解釈の範囲が多岐にわたることは確かであろう。「ルビを振る」ことは、つまり当て字の意味が読者に間違われないようにする場合もあるし、読み癖が特別で難読な当て字の場合もある。選評の「仕事に疲れて繊細になっているわが身」の意味は、読者に誤読されることを作者が危惧している、ということなのであろうか?・・・句評の評に陥ってしまったようだ。
閑話休題。座五に「梅雨晴間」としてあるから、ホッと一息ついている風情である。上五中七の整理が必要に思える。「当て字のこころ」ではなくて「振るこころ」なら句意が明確になるのだが、それではポエジーを喪失してしまうだろうか?
◆熟れバナナキッチンに吹く島の風 (フランス)ロベール任田夏子
長谷川櫂選である。選評に「六句目。フランスの子どもたちからの投句の一句」とある。金子兜太選の中にもそれらしい「エスカルゴ」の一句があった。
バナナは必ずしも南の島の産物とは限らない。いやむしろ大陸の、または島国くらいの大きさの大地の中に位置するバナナ園の産であろう。南の島にしたところは大方既定観念であろうが、自宅のキッチンに風を吹かせたところは子どもの感覚を超えている。
◆句心の通ふ主客や風呂手前 (富津市)三枝かずを
稲畑汀子選である。この素材は如何にも旧来からの俳句的素材である。貴族趣味と言おうか、教養主義と言おうか。どのように新しい技術で叙しても新趣のポエジーを見付け出すことは困難だろう。
【執筆者紹介】
- 網野月を(あみの・つきを)
1983年学習院俳句会入会・同年「水明」入会・1997年「水明」同人・1998年現代俳句協会会員(現在研修部会委員)。
成瀬正俊、京極高忠、山本紫黄各氏に師事。
2009年季音賞(所属結社「水明」の賞)受賞。
現在「水明」「面」「鳥羽谷」所属。「Haiquology」代表。
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