2014年7月4日金曜日

第77号 (2014.07.04 .) あとがき

北川美美

7月の第77号 777! 無事更新。 

七夕に因み、7にまつわることなどを思い過去のカウンターの7777の記念画像を披露します。(管理者はカウントされないはずなので、他の方が獲得されたものと思います・・・。)



(上記の画面が2014年1月27日ですから、本日110746。5か月で4万アクセス増。1か月8000.1日約266アクセス…ということになります。)

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開催日は、平成26年8月1日(金),2日(土),3日(日)です。  



小諸市のサイト(俳句の林間学校 「第6回 こもろ・日盛俳句祭」)

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周辺宿泊施設がほぼ埋まりつつあります。 
8月ハイシーズンは国内外問わず移動するのも大変です。  ご計画中の方はお早目に!




筑紫磐井

○6月28日に玉藻の1000号記念と、主宰交代の祝賀会があった。昨年10月は、ホトトギスの1400号記念と、主宰交代があったから、明治以来の伝統俳句の体制の更新が行われたという意味で後世からみれば大きな事件であろう。前者は3代目、後者は4代目の主宰者を決定した。代数は大きくはないが、着実に、子、孫、曾孫と継がれているから、日本的な伝統文化に近い継承の仕方である。これらが未来にどう展開するかは未知数だが、俳句が高齢化時代の中で俳句自身がどう展開するかという、もう一つの未知数の問題と並行して行くことは間違いない。文芸というジャンルについて寿命があるかどうかは見極めが難しい話であるが、ジャンルが無制限に延々と続くというわけでもないだろう。

○例えば比較的近い文芸ジャンルの漢詩などは、万葉時代から作られていた由緒正しい文学が、戦後になってほぼ滅んだといってよい。もちろん現在でも漢詩を作っている人はいるし、その人たちは滅んでいないというであろうが、現代人から見ればやはり滅んでいるのだろう。明治時代の新聞の文芸欄を見ると、俳句欄のできる以前から漢詩欄があり多くの人が応募していたが、現在こうした欄を見ることはないから、現象的に滅んだとみてよい。

最もジャンルとして寿命の短いのが江戸時代の「黄表紙」というジャンルで、『金々先生栄花夢』(1775年刊行)に始まり、『鸚鵡返文武二道』(1789年)で幕府の弾圧を受け、『化物太平記』(1804年刊)で終了したから、わずか30年の寿命だったということになる。異例といえば異例だがこうしたこともあるのである。

能や狂言はまだ盛んなようだが、江戸時代の狂言の筆頭の家元であった「鷺流」は、明治となった時に、家元の指導性のなさから滅んでしまった、妙な革新意識を持ったため、能・狂言の他の家元からボイコットを受け興業できなくなり滅亡してしまったのだという(その意味では中途半端な前衛や革新は危険かもしれない)。現在狂言で残っているのは大蔵流と和泉流ばかりだ。

○こんな時期だけに少し俳句の運命についても考えてみたい。

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