現在連載の続いている俳句時評「大井恒行の日日彼是」は20~30年前の我々の当面していた俳句環境をビビッドに描いてくれているが、ここでは今では死語に近くなっている、「前衛俳句」「伝統俳句」が重要なキーワードになっていたことがよく分かる(2014年2月18日火曜日「過激でなければ俳句じゃない・・・」)。
さて、こうした「前衛俳句」「伝統俳句」が今どうなっているかをこのシリーズで論じてもしょうがないので、別の指摘をしておきたい。それは、俳句の世界が、55年体制のように綺麗に「前衛俳句」「伝統俳句」のみで分かれていたのかどうかと言うことである。前々回の連載に戻って、「沖」には吉田利徳という心象派がいたことを述べたが、「前衛俳句」「伝統俳句」の間には「心象俳句」があったと思っている人もいたことを指摘しておきたい。「心象俳句」なんて「伝統俳句」の一種だと割り切って考える人もいたが、若い作家の一部にはやはり独自の理念としてそれに注目している人達もいたのだ。
さて、昭和51年5月号は恒例の「特集・沖の二十代」が載った。正木ゆう子も私も15句と文章を掲載している。ふたりともに、少しこうした心象俳句の影響を見せ始めた時期ではなかったかと思う。先ず作品を眺めておく。
蟹の海 正木ゆう子
蟹の海われに母性の翳なくて
本売りて小さき鉢のパセリ買ふ
いとはしき夜桜の下ゆめ膨らむ
指先に辞書置きひとり花の夜も
曖昧に手をおよがせてさくら切る
苺買ふするどく袖を折りかへし
術なくて芯まで濡れし椿かな
盗み見し手紙暖炉に水落ちぬ
啓蟄をみどりの鳥と匂ひゐる
弥生の鳥の足の熱さよ夢日記
辛夷咲き籠の小鳥はもう眠い
血の色のスカーフをして街に出む
目を閉ぢてをれば銀河へゆくごとし
紅梅を噛みて逃るること想ふ
炎帝の西瓜の中は明るからむ
昭和二十七年六月二十二日生
せめて反射光に
時計のベルは楔のように夢にくい込み、やむを得ず地下鉄に乗る朝。カップの底に玉葱とピーマン沈んだスープと珈琲のランチ・タイム。花の闇へカーテンを引けば一日はたやすく終わってしまう。
季節さえ追い越しかねない勢いで毎日は過ぎてゆく。自らの光など発するすべもない二十三歳。せめてさしてくる陽射しを正確に、水底からきらりきらりとはね返したい。反射光。俳句がそうであればいいけれど。
正木ゆう子の小文は、前回のつづきのように20代前半の女性の都会での生活を心象的に描いている。次は私である。
若狭物語 筑紫磐井
冬鷗日本の海はさびしいか
牛飼ひが雪の山河を生きてをり
雪国のうからとなりて深庇
煮こごりが母の暗さの味となる
貧しさは命のあかし瞳に雪ふる
夕星や蓬の萌ゆる野をかへり
さくら濃く杉の蒼める日暮れ里
桜満開くもり硝子の視野かぎり
禁漁区新樹は密に湖へだて
新緑に木椅子の濡るる湖上駅
散ることをしばし忘るる黐の花
耳の底かゆき花藻の私語が湧き
泉底に光と影の協奏曲(コンツェルト)
青田べり夏の力の水を張る
少女輝き不逞のごとく街は夏
昭和二十五年一月十四日生
詩について思ふ事など
アンドロメダの
渦まいている
遠い
遠い
きさらぎの
火の速さ
小文は当時私の最後の短歌作品である、これを多行にしてみた、きざな書き方であるが、まあ具象ではないと言うことだけは言えると思う。当時、十時海彦(のち文化庁長官)と言う秀才や、正木ゆう子の兄の正木浩一(49歳で夭折)も多少とも心象的な作品に傾いているから、「前衛俳句」「伝統俳句」だけではない世界があったと思っていた、と言えるだろう。そして実は、我々が見た限り、飯田龍太にしても能村登四郎にしても、草間時彦にしてもこうした世界で新しい俳句を作ろうとしているように見えたのである。
その是非はさておき、この年の句評は45歳の山上樹実雄(馬酔木・南風)である。<万緑のどこに置きてもさびしき手>等の作品からもうかがえるように、今にしてみれば心象俳句に共感の深い作家であったと思われる。山上は、「未知のひかり――「特集・沖の二十代」を読んで」の題で次のように述べている。
「特集・沖の二十代」と銘打った「沖」五月号を手にしながら、伝統俳句の基調の上に俳句の青春性をとり戻そうと懸命の姿勢を貫いてこられた能村登四郎氏の執念のような滲みが、私に感じられてしまった。・・・今日の俳壇で、これだけの特集号を持てる結社はそうざらにはあるまい。その燃えるような願をもった登四郎氏だが、最近ある文章の中で「若い人の詩歌に対する渇望をいやすような俳句は既に失われていった」と悲観的に洩らされたその感懐を思うにつけても、この「特集・沖の二十代」にかける氏の執念の程が量り知れよう。・・・
曖昧に手をおよがせてさくら切る 正木ゆう子
「手をおよがせて」は生け花のさくらを切るときの風姿が偲ばれよう。「さくら」なればこその手のおよぎと解したい。ただ「曖昧に」が如何にも曖昧だ。
<蟹の海われに母性の翳なくて>・<術なくて芯まで濡れし椿かな>共にもう少し煮つめて欲しい内容だ。<血の色のスカーフをして街に出む>・<目を閉ぢてをれば銀河へゆくごとし>、女性らしい自愛、陶酔が表立っている。
雪国のうからとなりて深庇 筑紫磐井
煮こごりが母の暗さの味となる
「雪国」の句、省略の効いた表現だが、内蔵する世界のひろがりを「深庇」に託した句。雪国に嫁いだ人にかむさる「深庇」、「うから」の言葉も生きてこよう。「煮こごり」の母は明治の「日本の母」の持つ忍びの暗さを示しているようだ。
冬鷗日本の海はさびしいか
貧しさは命のあかし瞳に雪ふる
成功作とは言い難いが、詩を愛するものの疼きがひそんでいる。」
見えていないものを見る。「内蔵する世界のひろがり」「風姿が偲ばれ」の表言はまさに心象世界を語らんとするものであろう。最後は二十代世代全員を讃仰してこう結んでいる。まことに二十代世代に対する温かい評者たちにあふれた時代であったのである。
「かつて<鰯雲未知がひかりの二十代>と詠った私だが、今なお未知の世界にひかりを求めている。ただ、二十代の諸氏には、そのひかりはやがては自己のものになろうという自負がある。その自負のこころがまたまぶしいのだ。」
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