2013年9月6日金曜日

三橋敏雄『真神』を誤読する 85. 秋色や母のみならず前を解く / 北川美美



85.秋色や母のみならず前を解く


この句を連句における「恋の句」と分類したい。一般に認識される「恋」というイメージである「はじらい」「熱望」などからはかけ離れたねじれた構図がある。性愛のはじまりを予感させる場面と読む。

敏雄は性を匂わせる表現が巧みである。<晩春の肉は舌よりはじまるか><鈴に入る玉こそよけれ春のくれ>なども想像してしまう句である。

そして捻じれと同時に、男が女に求める、あるいは女が男に示す「母性」という愛の一面を思う。「聖母」という西洋的思想をも想起する普遍的な愛、慈悲すらも感じることができる。

しかし一方、母が子に乳を与えるときに衣服を脱いだように、母に限らず女性が人前で衣服を脱ぐことをも意味する。「母のみならず、女は前を解くものだ」という概念と思える表現である。自分の愛おしい女性が、人前で肌をさらけ出す、女とはそういうものだ、と言っているようにも読める。想像した読者は極めて不安定な心理状況へと陥ると同時に静かな興奮を覚える。私はドラマチックとも思える後者の読みが好きである。 この句から物語をつくればそれはソープオペラになりえないが、「秋色」が持つ独特の悲しみ、母という郷愁のようなもの、そしてそれを俳句形式にしたからこそ、母を通して今までにない自我を描くことに成功しているのではないだろうか。俳句に18Rはないが、大人が読む句、大人でなければわからない句なのかもしれない。

八田木枯は第二句集『於母影帖』の後記に上掲句を引き、<實作者である私は「秋色」の絶妙さに舌を巻く。>と絶賛している。消去法でいくと、春でもなく夏でもなく冬でもなく無季でもなく、やはり秋がふさわしい。しかし「秋色」はいささか抽象的な秋の気配、秋の気分と思え捉えにくいところではある。紅葉山をイメージして色とりどりの着物を想像することもできるのだが、移ろえる季節が物悲しいという作者の気分という解釈の方がふさわしいだろう。そうなると18Rどころか、悲しいまでの女の性(さが)を男性が歌っている雅やかさが伝わってくるのである。


さて、敏雄が考える恋の句とは何か。渡邊白泉<われは恋ひきみは晩霞を告げわたる>の句について敏雄はで次のように書いている。

恋の句と言えば、松尾芭蕉の言葉としてよく知られた「発句も四季のみならず、恋・旅・名所・別離等無季の句有たきものなり」という、その筆頭に挙げられている。無季の句に関連させて、芭蕉がそこで言う発句は、連句形態における発句の謂であるが、くだって明治期に至り、これを正岡子規が一つの独立形式として改めて認識し、俳句という名に定着させた。ところで、いわゆる連句の世界では、さらに遡って連歌の昔から、恋の句は月・花の定座に次いで重んじられた。 
ただし、恋の定義というものはなく、適宜、四季・月・花に絡ませて詠み込むか、または雑(無季)の句として詠んでもよいとされていた。いずれにしろ、言わば伝統的な作法上、恋の句を読むことは俳人にとって欠かさないものであった。にもかかわらず、独立形式とされてからの俳句には、なかなか恋の句が現われにくくなっている。 
ましても子規以後の俳句は、自然偏重の体験主義的な表出を何となく強調されてきた傾きもあって、連句の座におけるように、あえて仮構の恋の句を案じるといった必要がなくなったためもあろう。白泉は、そういう事情とは別に、期せずして自身の青春の純情をかけた体験を、悠々と俳句表現にのせることができた最初の俳人ではないかと思う。 
もちろん恋に年齢はないから、青春をすぎての体験的な恋の句の場合はだいぶ事情がちがう。表現形式の生理のちがいによるとでも言っておくよりほかなさそうだが、試しに恋の句を作ってみればわかる。 
おおむね体をなさない。だらしなくなってしまうのだ。 
見られる形になったにしても、たとえば、この白泉と同時期に西東三鬼が示しはじめた「泣く女窓の寒湖渦をなし」「絶壁に寒き男女の顔ならぶ」、あるいは時期的にはややあとの「湖畔亭にヘヤピンこぼれ雷匂ふ」などをふくめ、一種風俗的な感興を脱しきれないうらみをのこしやすい。言いかえれば、恋一途のすぐれた句を現成させることは、実にむずかしいのである。 
その意味で、本書の別掲の「青春譜」一連の白泉作品は刮目に値しよう。掲出句はそのうちの一句である。 
『鑑賞現代俳句全集 第六巻』

上記は白泉の素晴らしさ、その引き合いとして三鬼の風俗的な句柄を説いている。確かに白泉の恋の句は「恋の句の金字塔」ともいえるくらいに素晴らしい。白泉の青春の一途な恋、三鬼の中年の醒めた恋、それはまるで敏雄が「俳句は少年と老人の文学」と解いた所以でもあるようにわかりやすい。白泉、三鬼と異なる恋の句を得るために敏雄は永くこの構想を思っていたに違いない。母という姿を借りた女性への思慕を、捻じれた構図で描いたことになる。思慕の母ながら父という自分の越えることのできない存在に抱かれた女なのである。

『眞神』に登場してくる父、母。それは変えることのできない血族であると同時に自己のルーツ、そして越えることのできない存在なのである。その家族、血の繋がりという、ある種の秘密を抱えた「未知の過去」に対する自己の葛藤と挑戦であったように思えるのである。

敏雄が俳句に目覚めた「新興俳句」という幻の俳句運動。その運動は花鳥諷詠を提唱する「ホトトギス」に対抗するように近代の「自我」の表現というものを求めたと理解している。しかしこれは新興俳句に始まったことではなく、俳句はもともと自我を確認、意識しながら創作するものであり、創作過程に自我の目覚めを認めることもある。虚子が人間を排除したのではなく、虚子が人間をも花鳥に含めたのだと理解している。

近代社会以降、人間は等しく自我を持つことが出来るようになった。それまでの封建社会の秩序から明治中期以降,「個」としての自己を内面において支える近代的自我の思想が移入されるようになり、明治20年代に国家主義的傾向が強くなる。その反発として、近代的自我の確立をめざし自己の内面世界を自由に表現しようとする。夏目漱石の「こころ」などに代表される自我の葛藤のそれである。漱石の「こころ」での捻じれと敏雄の母の句の捻じれに通じるものを感じるのである。

『眞神』の中の「自我」について思うとき、先ず登場人物に父がいる。次いで母がいる。そして母を母性でなく、女性として直視する。そのような父と自分、もしくは母と自分の距離感を示すことで自我を表現しているように思える。距離を作り出せる大人の自分と自分をも客観視できる自分を、自我の確立と考えたのではないだろうか。


再度『眞神』の中の母の句を引いてみる。

母ぐるみ胎児多しや擬砲音 
生みの母を揉む長あそび長夜かな 
母を捨て犢鼻褌(たふさぎ)つよくやはらかき 
産みどめの母より赤く流れ出む 
秋色や母のみならず前を解く 
ははそはの母に歯はなく桃の花 
大正の母者は傾ぐ片手桶 
夏百夜はだけて白き母の恩

「自我」は時に、「恋」という形をとる。恋は苦しく切ない。恋するひと、愛する人は自己とは違う存在なのである。「近代的自我」が文学者たちの苦しみの過程であるならば、恋の句も同時に敏雄にとって苦しみの過程を描いているように思えるのである。


0 件のコメント:

コメントを投稿