2013年9月6日金曜日

文体の変化【テーマ:昭和20年代を読む12~食①~】/筑紫磐井

少し趣味に走りすぎたようだ。もっとも痛烈な敗戦の感覚は「食」を持って極まるはずだ。だからこんな風俗の中に社会性がにじみ出るとすればそれは「食」をおいてはほかにない。現代の食生活の環境からは考えられない句を少し引いてみよう。

特にどんな名句より、コンテクストが読み切れないために意味が不明である句が多い。実はこの時代は、社会性俳句、前衛俳句に先立つ時代であるために難解俳句はほとんどないはずなのだが、キーワードそのものに社会的な感じがどのようにこめられているか分からないための難解俳句は結構あるのである。

まず、理解しやすい句から見てゆこう。

(1)食の充実

【藷】

食ひあますてふ藷とても食ひ尽し 風 22・11 杉山岳陽 
甘藷食ひしあとの放心一茶の忌 浜 23・1 猿山統流子 
父と子の甘藷腹榾火音も無し ◆ 23・2 石川桂郎 
月十三夜芋腹すかす漫歩といふ 石楠 25・2 宮川虎獅猿 
甘藷を掘る一家の端に吾も掘る 天狼 27・12 西東三鬼 
ハイキング藷負ひし日の径辿る 石楠 27・12 水野草雨 
稲妻へ歩を向けしかば藷重たし 野哭 加藤楸邨 
夜更けて芋食ひ肝胆相照らす 鼎 青池秀二 
生きて会ひぬ彼のリュックも甘藷の形 径 原田種茅 
藷あまし生計もひとのなさけにて 人生の午後 日野草城 

【南瓜】

古妻の南瓜料理もあきにけり ホトトギス 21・3 小島草火 
南瓜負ひしあゆみとぼとぼ人は見む 浜 21・12 坂口波路 
南瓜持つて御礼などとそんなこと ホトトギス 22・1 本田泊青 
日々名曲南瓜ばかりを食はさるる 雨覆 石田波郷 
※戦後の食生活は、貧しく、飢餓に襲われると言いながら、こと「藷」(サツマイモ)に関しては飽食感に満ちている。藷を恋うという句もなければ、僅かな藷という句もない、大量で、持て余すほどの量を感じるのである。掲出の句はいずれも例外なくそうした物質的充実の句である(逆に言えば精神的な不足感が対比的に歌われているところが面白い)。「芋」とあるのも、サツマイモと解釈して良いであろう。もともと救荒食物の一種として作付が奨励され、荒れた土地にもでき、戦後の代用食の代表例である。

「藷」の句で最もよく知られているのは、「揺れる日本」には選ばれていないが、

さつまいもあなめでたさや飽くまでは 馬酔木 23・11 林翔 
である。戦後の藷の句としては必ず選ばれる作品である。これも文字通り飽食感に溢れている。
戦前の代表的歳時記である改造社の『俳諧歳時記』では、「芋」(サトイモ・ヤマイモ)の例句は芭蕉以来たくさん掲げられているが、「甘藷」(サツマイモ)は、項目があるが例句は1句もない。いうなれば、終戦期に代用食・飽食・精神的な不足感がないまぜになった本意の生まれた季語であったのである。そして、飢餓の時代が終わるとともにその本意も忘れ去られているようだ。

並べておいたが、南瓜も「藷」に準じて詠まれる。南瓜は江戸時代の古句が見られるが、終戦期には古い本意は忘れられ、甘藷と同じ本意が生まれているようである。これは南瓜の伝統ではなくて、南瓜の有りようが甘藷に似ているのである。その意味では写生の句に近いかも知れない。

そしてどういう訳か、藷の中に、馬鈴薯(ジャガイモ)が混じっていた。編集者の間違いであろう、全然違った内容の句となっている。

馬鈴薯掘るや救世主天より現れずに地より 浜 23・9 宮津昭彦

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