あとがきによると、1961年生まれの作者の俳句デビューは30歳の頃で、会社の同僚だった林誠司氏(版元の俳句アトラス社・代表)の誘いからだったというから、俳縁とは、かくも面白いものだ。
句集を手にして、まずは帯にある「風羅堂十二世にして現代俳句の俊英」の文字が目を惹く。
「風羅堂」とは関東地区ではあまり馴染みがないが、関西地区では多くの俳人が集う松尾芭蕉ゆかりの場所であるらしい。
作者が代表を務める「句会・亜流里」のHPによると、「姫路出身の商人、俳諧師であった井上千山は向井去来を通じて芭蕉を姫路に招く約束をしていたが、芭蕉の死により実現しなかった。(中略) 芭蕉像や遺愛の蓑などを譲り受け、姫路の随願寺安城院に納め、蓑こぼれで蓑塚を築いた。(中略)その後、千山の息子の井上寒瓜が芭蕉没後50年を機に遺品の管理場所として風羅堂を建立した」とある。
芭蕉を風羅堂一世として、その後は所縁の人たちによって代々継承されてきたが、明治7年(1874)の流行病発生の際に焼却処分されたため、十一世を最後に断絶していた。その時以来150年を経て、2011年に中村猛虎氏が十二世を襲名したという。
『紅の挽歌』は、少しばかり変わった風情の句集である。
冒頭(モノローグ)に、55歳で亡くなった奥様の癌告知から亡くなるまでの病状の変化を冷徹な視線で綴る文章とそれに関連した俳句並んでいる。「俳句は日記」といったのは故・岡本眸だが、まさに闘病日記といった趣きで、他の章にも、奥方に対する哀切極まりない思いが伝わってくる句が多く見られる。
卵巣のありし辺りの曼珠沙華 中村猛虎(以下、作者名略)
秋の虹なんと真白き診断書
寒紅を引きて整う死化粧
殺してと螢の夜の喉仏
葬りし人の布団を今日も敷く
鏡台にウィッグ残る暮の秋
亡き人の枕のへこみ猫の恋
ポケットに妻の骨あり春の虹
その他、通読して感じた句集の印象を①~⑦として、ランダムに上げてみる。やや網羅的で散漫な鑑賞になってしまったが、お許し願いたい。
① そもそも俳句とは客観的に写生することが第一義とされるが、それだけでは類句類想のオンパレードになってしまう。そこに主観という味付けをすることで俳句が個性を持って立ってくるのだ。そういう意味からすれば、この句集には「立っている俳句」が多い。作者が理系の出身のせいもあってか、形(形状)というものに独特の把握が見られる。
天高しふぐりはいつも鉛直に ※「鉛直」は水平に対して直角の意。
スプーンの曲線眠くなる小春
息吹けば息の形の葛湯かな
煮凝やDNAに深き傷
透かし入り和紙で出来ている三月
夏シャツの抱かれやすき形かな
星涼し臓器は左右非対称
水撒けば人の形の終戦日
秋扇泣いてもいいよと云う形
② 俳句の表現方法には王道ともいえる型がある。多くは575の定型で文語表記を用いた伝統に沿ったものである。この句集には、そうしたものとは対極にある池田澄子調とも云える口語体の句も多い。主観をより鮮明に伝えたいと考えた時に用いていて、この作者の特徴の一つ。確信犯的な口語俳句の使い手と言えばいいだろうか。
この空の蒼さはどうだ原爆忌
冬日向死んだふりでもしてみるか
ほうれん草の赤いとこ好き嘘も好き
新走り抱かれる気などありませぬ
初めての再婚ですと近松忌
子供はね死なないんだよ冬ひなた
三月の流木のそばにいてやる
母の日の大丈夫大丈夫大丈夫
夏帽の少年走る走る走る
母の日の母に花まる書いてもらう
たんぽぽがよけてくれたので寝転ぶ
すすきの穂ほらたましいが通った
マフラーの中であいつをやり過ごす
③ 比喩は逃げであるとして忌避する俳人もいるが、上手に使えば句の可能性を広げる手段として便利である。同じ比喩の中でも、「ごとく」「ような」といった明喩と、そうした弁明を隠して言い切ってしまう暗喩という方法があるが、作者の場合は「暗喩(メタフアー)」を巧みに使っている句が多い。それによってレトリックの効いた高度な仕上がりになっている。
手鏡を通り抜けたる蛍の火
亡き父の基盤の沈む冬畳
嬰児の春の水より出来上がる
春の昼妻のかたちの妻といる
箱寿司の隙間に夏野広がりぬ
君の部屋の炬燵の中と云う宇宙
羅やクロワッサンは剥いて食う
シュレッダーにかけてもかけても凩
高射砲傾けている霜柱
④ 「ふぐり」や「乳房」といった扱いにくい表現も大胆に詠み込んだ句がある。他にも、<秋袷生涯抱きし女の数> <致死量のシャワーを浴びている女> 〈夏草の幾つかはハニートラップ〉 〈テトリスのような情事や春の月〉など、艶っぽい句もある。この作者には俳句的タブーといったものは一切ないようだ。
天高しふぐりはいつも鉛直に
古団扇定年の日のふぐり垂れ
羅の中より乳房取り出しぬ
梟や喪服の中にある乳房
⑤ 作者自身は意識していないと思われるが、一読して著名な先行句を踏まえたオマージュのように読める句がある。勿論、句意は全く独立していて、類想・類句ということではない。それぞれの句の下にその該当句を添えてみる。
秋の灯に鉛筆で書く遺言状
鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ 林田紀音夫
万緑の中ぴるぴると子は話す
万緑の中や吾子の歯生えそむる 中村草田男
不と思と議切れば海鼠の如くなる
海鼠切りもとの形に寄せてある 小原啄葉
吸い殻の揃いて並ぶ溽暑かな
吸い殻を炎天の影の手が拾ふ 秋元不死男
⑥ 1961年生まれの戦後派にしては、反戦、原爆に関連する句が散見される。理由は分からないが、第二次フォーク世代の「遅れてきた青年」の気概を見るような気がする。
ミサイルの落花地点の桜狩
爆心地に立つ六月の夜の耳
原爆忌絵具混ぜれば黒になる
花の名は知らねど真白終戦日
ステージに空き椅子ひとつ原爆忌
未熟児の保育器曇る原爆忌
ビリーホリディに針を落として敗戦日
⑦ 最後に諧謔味のある(ユニーク)な句を数句挙げておく。
魂に話しかけてる日向ぼこ
部屋中に僕の指紋のある寒さ
三月十一日に繋がっている黒電話
初空や人を始めて五十年
食卓に並ぶ肋骨朧の夜
布団より生まれ布団に死んでゆく
桃を剥く背中にたくさんの釦
たましいの重さ2g曼珠沙華
転職雑誌見ている幽霊夜の秋
最初の〈魂に〉句からは、孤独な老人の哀愁が漂ってくる。5句目の〈食卓〉句は、骨皮筋衛門の老人が並んでいるということではあるまい(笑) おそらくスペアリブの夕餉か、秋刀魚の食べ終りだろう。7句目の〈桃を剥く〉句は、女性の背中とすれば、「桃を剥く」に内包される男性の性的なイライラを詠んでいるようにも取れて意味深長な一句となる。
最後の〈幽霊句〉は、コロナ禍で「お化け屋敷」のバイトが首になったのだろう。滑稽な時事俳句だ。
最後に。
こうした句集を亡き愛妻に贈る作者に改めて拍手である。
0 件のコメント:
コメントを投稿