◆人間が滅ぼす地球夕焼けて (東京都)青木千禾子
金子兜太の選である。評には「青木氏。このままゆけば、の心意。」と記されている。五十億年×三六五日分だけ地球の何処かで夕焼けしているのだ。その中で人間が見た夕焼けは五百万年×三六五日分であり、僅かに〇・一パーセントに過ぎない。人間が人間を滅ぼすことは仕方ないとしても、人間が絶滅しても自業自得であるが、地球自体を滅ぼさないで欲しい。それは、他の生命を滅ぼすことになるからである。「人間」「地球」「夕焼け」は決して矮小なものではない。それだけに句柄が大きいのであるが、逆に大雑把に感じてしまうかも知れない。
◆大いなる草臥ありぬ敗戦忌 (仙台市)菊地壽一
長谷川櫂の選である。評には「三席。七十年という長い長い弦がいつの間にかたるんでしまったのかも。」と記されている。反戦運動に飽きた、平和運動に無力感を感じた、ことを評は言っているのだろうか?そうではなくて、「草臥」があるのだが、それでも弛まずに敗戦忌を修し続けるのだ、という反語として理解したい。
◆天井も襖も走馬灯の影 (市川市)抜井諒一
長谷川櫂の選である。「走馬灯の影」が天井と襖へ投影されている。走馬灯は上下が、もしくは上が空いている構造なので、天井と襖にはそれぞれ異なる影が映ってることだろう。単純な句型である分、影が見えてくる。
◆皆同じ団扇をもらひ入場す (岩倉市)村瀬みさを
稲畑汀子の選である。会場の内では皆が同じ団扇をひらひらさせている。色合いも形状も同じである。多少異様さを感じたりするが、連帯感と捉えることも出来る。中七の「もらひ」の工夫が面白さを引き出しているようだ。はたしてこの団扇には何が描かれているのか?製薬会社の新薬の広告か、選挙への立候補者の似顔絵か。
◇俳壇の隣には堀本裕樹著のコラム「地球と言葉を交わす」がある。和田悟朗の句作を取り上げている。中の「太陽と地球のあいだ雁渡る」「瞬間はあらゆる途中蓮ひらく」などを拝読すると、コラムにあるように「・・を感得」しているように思う。壮大な事象を感得出来たからこその作品なのである。
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