2014年8月22日金曜日

小川軽舟の十句 (1)   竹岡一郎

七夕のふたつの村のしづかなる       「近所」

「しづかなる」という、一見常套の形容が生きるのは上五の「七夕」なる季語による。「七夕や」と切れるのではなく、「七夕の」と続けることにより、この二つの村が七夕に属していると暗示される。二つの村は七夕竹を掲げる地上の村であるが、天の川を挟んで牽牛、織女の姿が浮かぶゆえ、また上五と中七が「の」で繋がるゆえに、二つの村の間にも銀河が流れるように思え、二つの村は天の川の両岸に在って、各々、牽牛、織女の総べる村かとの連想が浮かぶ。されば村の灯は星々の光であるか。そこで「しづかなる」という形容が揺るがなくなる。星々の世界は真空であるがために静寂だからだ。昭和六十二年作。

炎天の更なる奥処あるごとし        「近所」

中七により、炎天の、盲いるような眩さが体感される。あまりに明る過ぎる空は却って昏い。「炎天に」ではなく、「炎天の」であることが工夫である。仮に「炎天に」と置けば、炎天は単なる平たい景である。「の」で繋ぐことにより、炎天も深みであり、その深みに更なる奥処があるという、炎天の果てない深さが表現される。下五の「ごとし」は比喩のようでいて実は比喩ではない。仮に「ありにけり」と置いても意味は同じであるが、炎天の深さがまるで違ってくる。「ありにけり」では所詮目に見える程度の深さである。「あるごとし」と置く事により、その奥処が在るか無きか、はっきりしないほどの深みであることを示唆している。昭和六十三年作。

男にも唇ありぬ氷水            「近所」

掲句については、藤田湘子の鑑賞を挙げたい。「鷹」平成八年十月号の「秀句の風景」より引く。
「至極当然なことを、あらたまって言われてみると妙になまなましく感じることがあるが、掲句などさしあたりその最たるものであろう。不用意に読めば、男にも唇がある、当たりまえじゃないか、で済んでしまいそうだが、「氷水」が関わってくると、どっこいそうは言わせませんよ、と一句が迫ってくる。氷水を食べるときの、あの、冷たさをちょっと宥めるような口元の形がクローズアップされ、やがて、ふだんは気にもとめぬ男たちの唇が、あれこれと想われてくるのである。と言うことは、蛇足ながら、もう一方に女たちの唇のイメージが絢爛とちりばめられているのであって、そこまで連想の波紋がひろがっていくと、一見無表情なこの句が、どことなくあでやかな雰囲気を発してくるのを感じるのではあるまいか。」

この鑑賞に今更付け加える事もないので、個人的な思い出を一つ述べておく。平成二十三年夏の鷹中央例会で、私の「老兵が草笛捨てて歩き出す」の句が主宰特選を得、軽舟主宰から掲句の「氷水」の短冊を頂いた。今考えると、軽舟主宰は拙句の「老兵」に湘子を思ったのかもしれぬ。生涯戦う俳人であった湘子には、老練の兵の気迫があった。湘子の唇が薄かったことも懐かしく思い出される。平成八年作。

百合深く入り不帰(かへらず)の虻一つ         「近所」

虚子に「虻落ちてもがけば丁字香るなり」の句があるが、掲句の虻はもがきもせず行き行きて、遂に帰らぬ。それだけ花に魅了され花に殉じたのだ。花の奥に入り込んで帰れなくなった虻は、男なるさがの象徴であろう。百合は清純を表わし、処女の暗喩であるが、虻が帰れなくなるのだから、恐るべき処女神である。虻は帰れなくなったのではなく、帰りたくなくなったのだろうか。一匹ではなく、「一つ」とある事から、虻は百合の所有物になったのか。しかし、一つである処に百合の純情さもうかがえる。虻数多であれば、堪ったものではない。平成十二年作。

日盛や少女消えたる水たまり        「手帖」

幼女なら夕暮時に消えるところ、少女は天心炎える日盛に消えるのだ。「水たまり」を日常に隣り合う黄泉の国と取っても良いが、ギラギラと夏の光の反射する水たまりは、むしろ鏡の国と取りたい。ならば、少女はアリスである。「鏡の国のアリス」では、最後にアリスが目覚め、今までのことは夢だったと知る。更に、その夢はアリス自身が見ていたのか、それとも鏡の国の赤の女王が見ていたのか、アリスは自問するのだ。荘子の「胡蝶の夢」である。掲句においては、消えた少女が幻なのか、それとも消えた少女を見ていた作者自身が幻なのか、自問する体であろうか。
平成十五年作。

鏡面は裡(うち)から朽ちぬ蟬時雨         「呼鈴」

これを現代の鏡と見れば、あまり見ない景である。しかし、鏡に曇るような斑点が出来るのを、鏡業界では「シケ」といい、実際に有る事だ。高温多湿下や長年の使用により、内部の銀・銅膜が腐食して起こる。漢や唐の銅鏡なら、錆びている物を幾つも見たことがある。緑青が苔のように盛り上がっている。しかし、その場合、錆はむしろ外から内へ進むだろうから、掲句の鏡は現代の鏡と見る方が妥当であろう。廃屋の閉め切った一室、あるいは廃園となった遊園地の鏡などには良くありそうである。腐食がいよいよ進めば、何も映していない筈の鏡に、「シケ」は人影の如く浮かぶ事もあろう。中々に怪談である。蟬時雨は、絶えず静かに進んでゆく錆を音として表わしていると取れよう。平成十八年作。

腕立伏ではどこにも行けぬ西日かな     「呼鈴」

藤田湘子の「もてあそぶ独楽(こま)からは何も生れぬ」(昭和三十六年作)に通ずるものがある。掲句は、暇をもてあそんでいるわけではない。汗水垂らして鍛えているのだ。それなのにどこにも行けぬところが悲しい。湘子の独楽の句の背後に高度成長期があるなら、掲句の背後には平成不況があるのだ。掲句を、日々仕事に忙殺されるサラリーマンが、果たして自分の仕事はどこかへ向かっているのだろうかと自問する暗喩と捉えるなら切ない。これを若者の焦燥ととらえれば、西日の照りと相俟って、まだ希望は熱くあろうか。平成十九年作。

空蟬の終らざる終りのかたち      「呼鈴」

言われてみるとその通りで、幼虫としては終っているが、決して屍ではない。幼虫時と成虫時の形が酷似しているにも拘らず、脱皮の前後で地中と地上とに大きく生態圏が分かれるのは、蟬特有の成長である。空蟬という、完璧に生の形状をとどめている抜殻に、ある感慨を抱くのは、日本人、空(くう)の概念を文化として持つ民族ならではだろう。一切は縁起流転する、この身もまた然り、しかし空蟬を見て、抱く感慨。上手く言えないが、死を超える希望のようなもの、或いは生をやり直す意志の匂い。平成二十一年作。

虹といふ大いなるもの影もたず      「呼鈴」

 全て存在するものは影を持つ。虹は確かに影を持たない。では、虹は非存在であるか。そうかもしれぬが、一方で虹が実存しているかどうかは、我々人間が「人間の認識の領域」に留まっている限り、窺い知ることが出来ない。我々は存在しているが、実存してはいない、というと仏教の認識論になる。「諸法無我」とは、判りやすく言うと「世界には実体がない」。「三世十方法界に常住の諸仏諸菩薩」と云う、その場合の「常住」とは即ち「実存」である。後は「言説(ごんせつ)不可(ふか)得(とく)」、論理ではなく、直感で認識するしかない。その直感の到達する範囲をどこまでも広げてゆく努力が、「精進力」というものであると思う。

掲句に戻ると、非存在であるからこそ、「大いなるもの」なのである。存在していれば、どんなに大きくとも、その形の枠内に留まらざるを得ない。虹が影を持たぬのは、我々から見れば悲しみかもしれぬ。虹自身から見れば、歓喜かもしれぬ。句集では掲句の前に、

ものにみな影戻りきて虹立ちぬ
なる句が置かれている。一方では虹が立ち、他方で諸々の「もの」には、存在し且つ非実存である悲哀が、影となって戻り来るのである。戻り来る前には、影の無い時間があったであろうが、それはどんな時間であるか。夜、ではつまらない。ものが「もの」として有ることを忘れている、無我の時間ではないかと取りたい。全て「もの」は有情無情に拘らず(人であろうと虫であろうと草であろうと石であろうと)、存在しようとする意志ゆえに存在するのである。どうも倶舎論になりそうなので、もうやめておく。平成二十二年作。


関係ないだろお前つて汗だくでまとはりつく

「鷹」平成二十三年八月号掲載。最初読んだとき、私は思春期の息子が父に反抗している景かと思ったのである。作者に聞いてみたところ、会社の人事の景らしかった。一見、前衛句のようでいて、実は人間関係の本質を的確に写生している。「関係ないだろ」というなら、涼しい顔をしていれば良いのに、「汗だくでまとはりつく」果てに抜き差しならぬ事に陥るのが、いつの世も変わらぬ厄介さである。これを仮に国家間の紛争に置き換えても、納得は行く。小は家族から大は国家に至るまで、掲句は意外と人間の業の動きを抉っている。




 【執筆者紹介】

  • 竹岡一郎(たけおか・いちろう)

昭和38年8月生れ。平成4年、俳句結社「鷹」入会。平成5年、鷹エッセイ賞。平成7年、鷹新人賞。同年、鷹同人。平成19年、鷹俳句賞。
平成21年、鷹月光集同人。平成26年、第34回現代俳句評論賞受賞。著書 句集「蜂の巣マシンガン」(平成23年9月、ふらんす堂)。

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