藤田湘子(1926〈大15〉1.11~2005〈平17.4.15〉の自信作5句は以下通り。
山眠る男の眉の和むごと 第9句集『前夜』(未刊)
けむり吐くやうな口なり桜鯛 〃
道艶にして山へ入る野分後 〃
巣立鳥明眸すでに岳を得つ 〃
水草生ふ後朝のうた昔より 〃
一句鑑賞者は中田剛。その一文は大手拓次の詩を引いて、他はほとんどない無い。以下にその全文を引いておこう。「大手拓次には『水草の手』と題する詩がある。
〈わたしのあしのうらをかいておくれ、/おしろい花のなかをくぐつてゆく花蜂のやうに、/わたしのあしのうらをそつとかいておくれ。/きんいろのこなをちらし、/ぶんぶんはねをならす蜂のやうに、/おまへのまつしろいいたづらな手で/わたしのあしのうらをかいておくれ、/水草のやうにつめたくしなやかなおまへの手で/、思ひでにはにかむわたしのあしのうらを/しづかにしづかにかいておくれ。〉
ここにあるのは至極退屈で、あまやかなエロティシズム。そうして水草ゆらいでいる光景はまがうかたなき現代のきぬぎぬの光景」。もともと中田剛の文章や句そのものがごくシンプルに描かれているものが多いと思っていたが、他の鑑賞文の多くが1ページの分量をほぼ守って書かれていたが、この中田剛の一文は、予想を越えてシンプルで、まるでこれ以外に書きようがないではないかといった趣だった(中田剛のあと一名の一句鑑賞は鎌倉佐弓「つばめ来よ胸に穴あく燕こよ」だったが、この一文はもっと短かった)。
藤田湘子の平成の自信作5句はすべてが未刊句集『前夜』からというのも(発表誌からではなく)、他の俳人諸氏とは違った特徴だったが、実はこれら五句のなかで(たぶん書き損じて)書き直し、推敲を留めているのが、「この水草生ふ」の句だった。推敲前の句は中七「きぬぎぬの歌」だった。それが万年筆のインクで消されて「後朝のうた」となっていたのであった。
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