86.父はまた雪より早く出立ちぬ
80句目の<父はひとり麓の水に湯をうめる>にて、無意味と思える行動をとる父は、またも無意味とも思える行動に出ている。「父はまた」とあり、このお父さんは尋常でないことが常なのだろうか。
そして前句の<秋色や母のみならず前を解く>の女の性を受けて、父は、雪のように静かに何事もなかったように無言で「労働にいく(出かける)」という意味にとれば、それは、父の苦悩となり、敏雄の中の無言の葛藤とも思えてくる。しかし違う見方もある。「出立つ(いでたつ)」を「突き出てそびえ立つ」と解する読みである。
「父母未生以前」という禅宗の言葉がある。「父や母すら生まれる以前のこと。相対的な存在にすぎない自己という立場を離れた,絶対・普遍的な真理の立場。」という意味である。夏目漱石がこの命題に取り組んだ。
「まあ何から入っても同じであるが」と老師は宗助に向っていった。「父母未生以前本来の面目は何だか、それを一つ考えて見たら善かろう」「私が私である前に私ではない」とは妙に哲学的になるのかもしれないが、『眞神』において、それを、「俳句」とするならば、「俳句が俳句である前に俳句ではない」すなわち、「自分の俳句を書く」という敏雄の信念にも通じるのではないだろうか。
宗助には父母未生以前という意味がよく分らなかったが、何しろ自分というものは必竟何物だか、その本体を捕まえて見ろという意味だろうと判断した。それより以上口を利くには、余り禅というものの知識に乏しかったので、黙ってまた宜道に伴れられて一窓庵へ帰って来た。
(夏目漱石 『門』(十八))
「近代的自我」の歴史を考えると、北村透谷、島崎藤村、の名前が出て来るが、島崎藤村が『若菜集』という新体詩に臨んだのは、和歌や俳句は思想・感情の表現には不十分であるとされ,口語に近い用語や「わかち書き」の形式をもつ西洋文芸の影響下に生まれた新体詩を生んだのである。1882年(明治15年)に刊行された『新体詩抄』がある。
前項あたりから『眞神』における「自我」について考えるようになったが、まさに、「父母未生以前」の言葉を得て、敏雄が新興俳句で成しえなかった「自我」を俳句形式として昇華させようとしたと思えてくる。『眞神』は昭和49(1974)年刊行なので、『新体詩抄』に遅れること92年である。
「父」「母」「胎児」「赤子」「血」これらのキーワードが「父母未生以前」と結びついてくる。ここれらのキーワードで結びつくのが敏雄、高柳重信(『遠耳父母』)、吉岡実(『僧侶』死児)である。
沖に
父あり
日に一度
沖に日は落ち
§
沖の父
誰も見知らず
在りとのみ
高柳重信『遠耳父母』重信の遠く消えていきそうで消えない浮かび上がるような「父」、そして吉岡実の「死児」にも「父母未生以前」の言葉があてはまってくる。
『眞神』の中の父の句、それは難解に思える。
水赤き捨井を父を継ぎ絶やす
父はひとり麓の水に湯をうめる
父はまた雪より早く出立ちぬ
馬強き野山のむかし散る父ら
さし湯して永久(とは)に父なる肉醤(にくびしほ)
少年老い諸手ざはりに夜の父
すべて「父」の無言の狂気に受け取れる。父の句は上掲句に「雪」が記されているが、それ以外は無季(雑)の句である。それは逆に、上掲句のみが「雪」という季題を詠み込んでいる、ということにもなる。
古代の信仰では、冬ごもりのあいだに威力ある霊威が人の身に宿るものと信じていた。雪の久しいことは、冬ごもりの期間の永いことであり、その間における発育の大きいことである。(山本健吉「基本季語五〇〇選」(講談社学術文庫)「雪」からの抜粋)
「雪」は古くからの季題である。
雪の降っている間に霊威が宿り、母が身ごもり、そして自分が生まれたのならば、その「雪」が降るまえから父は存在していたのである。つまり、父は越えられないという「我」との距離である。この句に「雪」を配した意味は大きいと思える。
「近代的自我」と「俳句」を考えるときに、三橋敏雄の『眞神』は外せない句集だと確信すると同時に敏雄にとっての「自我」が『眞神』そのものなのではないだろうか。
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