2013年9月13日金曜日

近木圭之介の句【テーマ:「人」】/藤田踏青

旅で心に人がいて急ぐ

今回のテーマ「人」という概念は大きく拡がり過ぎて捉えにくいものがある。例えば「人」という概念の内包は人としての特徴(理性的あるいは社会的動物など)であり、外延はあらゆる人々である、というように説明もなされている。しかし個体をとらえる概念(個体概念・単独概念)もある、とも。それらは人類、人格、貴方、他人、世人など色々に分類もされるであろう。そうした中で掲句の「人」は特別な関係にある人を示唆しているのであろう。旅中で気にかかる人への思いがつのり、急いでいる様子として受け取れようか。

昭和30年の作(注①)であり、前書きに<日本海沿岸>とあるので、海に沿って走る車中での思いかもしれない。三・四・五・三の中での盛りあがるリズムが心の起伏をなぞっているようにも思われる。掲句に続いて<直江津海岸>と場所を示したのが下記の句である。

冬海の美しさ たまに旅の人とおる       昭和30年作   注① 
海にかがやきおちる雪を私す          昭和30年作   注①

上句によって冬の日本海での旅中吟である事が解る。両句から直江津海岸に降り立って冬の海に対峙している作者の姿が想像され、物悲しくもある風景であるが「雪を私す」る充実感も味わっているようにも受け取れる。前句がその人に会う前だとすると後句は会った後と考えれば連作としての心の移りも感じられるのではないか。

鴉と人間と別々に考え 砂丘続く        昭和31年作    注① 
人間笑う以前カラスぎょうさん笑う       昭和38年作    注①

前句の人間は作者自身を示唆しており、生きてゆくという事への意味付けや目的の差を鴉という存在を通して再認識しているのではないか。後句の人間は作者とも考えられるが、むしろ一般世人と考えれば現在の浅はかな滑稽な人間社会への痛烈なアイロニーとして響いて来るように思えるのだが。

人間だ 骨が裏返されいちにんぶん       平成6年作     注②

ここでの人間は人格を中心にした存在であるはずの人が死という瞬間から、火葬場に於いてまるで物体の如く取り扱われる現実が提出されている。その事は「いちにんぶん」という数量化と、そのひらがな表現によるひらひらとした薄い存在感にも象徴されている。この事から、果して鴉と人間とどれ程違う存在であるのか、と考え込んでしまうのだが。


注① 「ケイノスケ句抄」 層雲社 昭和61年刊
注② 「層雲自由律2000年句集」 層雲自由律の会 平成12年刊

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