2013年5月24日金曜日

戦後俳句とはいかなる時空だったのか?【テーマ―書き留める、ということ】/堀本 吟

【十四】津田清子の発見-靜塔の根源俳句観(天狼三周年記念大会講演記録から)

1)

この講演記録のみで各自の俳句思想を決めてしまうことはできないが、「天狼」創刊の際の「出發の言葉」で、「根源」という表現を使って以来。天狼誌上で様々の「根源」の認識が追求された。
「現下の俳句雑誌に/欠くるところを「天狼」に備へしめようと思ふ。」という、「酷烈なる俳句精神」「鬱然たる俳壇的権威」が何によって支えられているのだろうか?

それは、「作品を以て実現せられねばならない。」ことである。

つづいて誓子がいうには、「詩友の多くは。俳句のきびしさ、俳句の深まりが、何を根源とし、以下にして現るゝかを体得した。」と、昭和二十三年一月號の「天狼」誌にかかかげられた。

が「根源」の具体的な事柄は、誓子の文からは、あまりはっきりしたイメージとしては書かれない。だが、なにか完全な理論体系があるかのように周囲にインパクトを与えたもののようである。

しかし、これが、俳句表現の本質論であるならば、子規の「写生」、虚子の「花鳥諷詠」、戦後の赤尾兜子のいった「第三イメージ」よりももっとわかりにくいことを誓子は云っている。さすがに、山口誓子も、「作品を以て実現」とはいうものの、そのまま直ぐに「根源俳句」という実 体化した言い方はしていない。この三周年記念大会の講演でも周到に、「根源探求の俳句」という表現をつかっている。

俳句を俳句たらしめている根拠に「根源」という言葉を当てたとしても、、あとは同人や読者(遠星集新人作者)に、考えさせているのである。以来、「天狼」には。賛成反対を含めて多くの論考がのせられている。大体昭和三〇年頃までには、この議論の目処がつくようだが、私が今読んでいる昭和二十六年の三周年記記念大会の主だった創刊同人の挨拶や講演が、その一応の中間的なまとめのように受けとられる。

2)

 根源探求の俳句 山口誓子の講演

先回、【十三】ここに山口誓子の要約を引用した。要点は,箇条書きにしてみると、次のように分けられる。http://sengohaiku.blogspot.jp/2013/05/tsudakiyoko3.html

(1)「天狼」は一つの文学運動であります。
(2)私達はこの運動によつて俳句の秩序を整へ、新たな権威を確立しようとしてをります。
(3)私達は、根源探求の俳句を示し、その理論を確立しなければなりません。
(4)一般作者は、それによつて自己を開拓し、自己を進出して貰ひたいのであります。
(5)それ等の為に、「天狼」全体が強く、固く、結束することが必要であります。
(4)で言われていることは、「遠星集」という形になってあらわれている。
(5)については、今のところ私の問題意識にはない。

(1)と(3)が中心に語られる。「天狼」は文学運動であるから、理論がなければならない。と山口誓子は、強調し。その理論の核心に「根源探求の俳句」が現実の作品としてあるはずだ、(しかし、それが「根源」を示した俳句だということ自体は、誰がそう決めるのだろう。)

山口誓子が言う「根源探求」とは、講演の中での言葉を使えば、
「生命の根源を追求する」、(作品で実現、ということ、第二芸術への反対もあるはず)。

「非人間的なものではなく人間を入れたもの」、(「ホトゝギスの立場である「客観写生」 にたいして言われている。)

「深まって進む俳句」、(戦前の新興俳句が「拡がって進む」ものであるに対して)
ということになる。

いわば本質論の形をとっているが、今までの支配的な考え方へのアンチテーゼとしては、インパクトがある。状況に入りこみ、で新しい俳句を求める心に響いたのかもしれない。

3)

 《古さと短さ》 秋元不死男の「根源」認識

つぎに、挨拶講演した秋元不死男も、根源、について自説を展開した。

俳人を信用するとはどういうことか、という導入。

(略)/私は俳人を信用する場合、彼が若し俳句の古さと短さ、と云うことについて、どこまで知つてゐるかどうか確かめる。



俳句が短く古い形式の文学である、という認識。

俳句が十七音の定形詩であること。/十七音を三十音にしたり、五十音、百音に延ばすことはできない。/始末に終えないくらい、我々を困らす形式です。

俳句詩形のデメリットとして、

日常の「表現形式としては、適当なものとは云えない」。リズムでは、「詩としてのリズムも貧弱」。で、「余程の決心をしていなかつたら、俳句に文学表現のすべてを賭けることは出来ないのであります。」
さらに、俳句の古さはまだあり「傳統を無視できない」。

曰く

・「十七音はその最大な輿件」。
・「私達は俳句発生以来の祖先の俳句の血と云うものを身体の中に感じている。」
・俳句がそう云う文学的宿命を持つていることを否定出来ないのだ

これを承認する事が大切だ、という。



自由詩や散文精神と比較して俳句の特徴を言う時には、

・歴史を持たない自由詩では、「詩の新しい形式の発見はあり得ますが、俳句ではそういう事は出来ません。ただ、抵抗があるだけです。」というあたり、自由詩の認識は少しあやふやと思える。抵抗とは忍耐であり、これは大変困難なことであり、向つてくる者に対する「持ち堪え」だからです。力がなければ敗けてしまうのであります。

・散文文学の多角的な文学方法の盛な今の時代の中にあつて、しやべりたく無いと云う短詩精神に生き抜かうと云う文学的決意は、これは大変な抵抗でしよう。と指摘した上で。


簡單に云えば、短詩精神の問題です。短詩精神に生きると云うことは、俳句でなければ為し得ない、という仕事をする事なので、俳句で一個の文学的宇宙を創造する、と云う事に外なりません。文学の断片や、他の芸術の俳句的翻訳ではいけないと云う事であります。これは、短さの中で、俳人が俳人的人間形成を行つて行く事、その事だと思います。



で、秋元不死男のもっとも大事な主張は、「一元」とか「單一」とか、そう云う短詩型精神を知ること、これが根源探求の俳句」の真髄となるのだろう。


この短詩型精神は、俳句誕生のときと共に古く、しかし日々新しい生命です。

十七音を傳承として観念する人々は、たゞ、十七音を宿命的な俳句の形や姿としてしか受取らないから、俳句を生命的に知ることはできません。こう云う人々にとつて、俳句に於ける古さも新しさも問題ではないのであります。

 私達が俳句を古い文学だと思わなければ、俳句が出来ないと云う理由は、実に傳統として生かすことが大切だと思うからであります。

次にのべるには、「傳統と傅承」について違いを言う。

・「傳統は」、流れつゞく「心」であり「精神」だと思います。 
・「伝承は」、傳達される「形象」。「姿」であり「形」である。

十七音を傳統と観念することは、十七音の心や精神を知る事なので、十七音と云う音形式そのものをその外側で知る事ではない。十七音といふ形象についての主体的な把握、これが傳統を知ると云ふ事だと思います。(註、堀本・下線傍線の部分、きょうきのまま、「云う」は「いう」。「云ふ」と混乱。) 
内容と形式を伝統と伝承の概念にあてはめて説明しているのであろうが、「俳句を生命的に知る」といういいかたは、「根源探求」という内容への手がかりとなるだろう。


十七音を傳承として観念する人々は、たゞ、十七音を宿命的な俳句の形や姿としてしか受取らないから、俳句を生命的に知ることはできません。こう云う人々にとつて、俳句に於ける古さも新しさも問題ではないのであります。


 私達が俳句を古い文学だと思わなければ、俳句が出来ないと云う理由は、実に傳統として生かすことが大切だと思うからであります。


秋元不死男の結びは、最初の「信用」のところにもどる。俳人の発行する約束手形(信用)・・・
・自己(おのれ)と云う事。


・愛情と云う事、
・言葉と云う事、
・古さ云う事、
・短さと云う事、
もし、この五つの項目の何かが書き落としてある手形は、信用して受取つてはならぬと私は考えて居ります。p―13-
秋元不死男は、古さと短さの形と姿に、俳句の「根源」をみているのである。
彼は、また「傳統」と「傅承」の違いをかなり詳しく述べ、伝承という外形的なものだけを受け入れるのはよくない。

私達が俳句を古い文学だと思わなければ、俳句が出来ないと云う理由は、実に傳統として生かすことが大切だと思うからであります。

というあたりには、新興俳句の近代的性格が、それ自体「古さ」への回帰であることをしめす。「古い」という認識が俳句をあたらしくする、という逆説の響く語り口。ここが面白かった。(この稿了)。

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