むかし
編みかけの白詰草を風に置き
ネモフィラの花の終りを荒れて夏
虹立つや耕衣の下駄の先が割れ
青葉雨飼はるる鳶が目を開き
ままごとの昔よ桑の実もむかし
・・・
『語りたい俳人』上下2巻(コールサック社)を頂いた。当-BLOG新空間-にも広告の掲載がある。
その2冊を私などが戴いていいものか? と恐縮してしまったのだが、でも、頑張って読みなさいという意味だと気を取り直して、気ままに上巻下巻を行き来しながら、ぼちぼちとではあるが読ませて頂いている。
内容は広く話題になることだろうから、今はおくとして、俳句以外の出来事なども挿入されているのが、日頃近寄りがたく思っている俳人の方々との距離を縮めてくれて有難くもある。
そんな中でも本当に驚いたのが福永耕二を中原道夫氏が語るという巻(第一章)。
俳句について書かれたものは時として窮屈になってしまうこともある。それは、単に私の理解が及ばないだけなのだとも言えるのだけれど。
《語る》というのは、語られることを聞くということでもあるから、親しみやすくて読みやすいものでもある。
福永耕二のエピソードの一つとして語られていたことに、歯医者嫌いがあった。歯医者が好きという人はいないにしても、これはちょっと酷い話。
歯科が嫌いでぐらぐらになった歯を何本も持っていて(?)最終的には自分で抜いたりしていたというから、これにはびっくりする。乳歯ならいざ知らず……である。
口腔衛生に関わることが広く行き渡っている現在ではこんな無茶な話はないだろうが、歯周病(かつては歯肉炎・歯槽膿漏と言われることが多かった)で歯の維持が難しくなることは多い。
さらに口中の病原菌は絶えず飲み込んでしまうことになるから、全身に及ぼす影響はあって当然である。
かなり古い話だが記憶に残っていることがある。多分昭和十年代のことだろう。さる人が出征することになった。その壮行会の席で、本人が歯茎からの出血を言い出した。血や膿は全部出してから征くべきだと周囲から言われて、爪楊枝を過剰に使い、それも原因の一つだろうが、蜂窩織炎から敗血症になり入院、出征どころではなく、苦しんで亡くなった、ということを聞いたことがあった。
当時の私はまだ十代。蜂窩織炎も敗血症のことも知らなかったのだが……。
福永耕二のことに戻すと、その早世を知ってはいたが、死因が歯科由来の敗血症とその併発による心内膜炎であったとは、今回の中原道夫氏の話で初めて知ったことであった。
如何に嫌いな歯医者であっても、ちゃんと治療をしておけば敗血症を引き起こすこともなく、俳人としても、もっと活躍できたであろうにと思えば口惜しくもなる。
それにしても歯科を嫌う人の何と多いことか。
ちょっと刺激されて『福永耕二句集 踏歌』(邑書林句集文庫)を書棚から探し出した。この1冊は持っているけれど、諳んじている句といえば
新宿ははるかなる墓碑鳥渡る 耕二
凧揚げて空の深井を汲むごとし
この二句のみというのはあまりにも悲しく恥ずかしい。読んでいる内に思い出した句もいくつかあった。これを機にきちんと読み直そう。
文庫版の有難さは移動中などでも気軽に開けるということでもあるし。
(2024・6)