2022年11月25日金曜日

澤田和弥論集成(第15回)続・新酒讃歌

 続・新酒讃歌

澤田和弥  

 新酒のことを「今年酒」とも言う。今年できた酒だから今年酒。確かに。今年できたばかりの酒には旨い肴を合わせたい。新人さんにはご祝儀をはずむのが筋というものだろう。まあ、結局はどちらも私の胃に入るのだが。

 酒屋から「新酒、入りましたよ」と一声。

  まづ夫と口もとゆるび今年酒  森谷美恵子

 夫婦揃っての酒飲み。共通の趣味があるのはよいこと。「ゆるび」がいかにも酒飲みを表している。ゆるりゆるりと味わいながら、話に花も咲き。仲良きことは美しき哉。読んでいるこちらも嬉しくなる。酒飲みであればなおのこと。

 さて肴は。

  今年酒鯖もほどよくしまりけり  片山鶏頭子

 〆鯖。最高である。青魚は全くダメという方もいらっしゃるが、好きな方はとことん好き。好みが極端にわかれる。私は「とことん」の方。しまりすぎては酸っぱいうえ、身も固くなる。「ほどよく」。それがよい。山葵醤油で口中に投ずれば、ふわりと広がる味と香り。脂が佳い。にくづきに「旨」と書いて、脂。旨さは脂の旨さ。肉も魚も同じこと。ここへ新酒をクイと一口。辛口がよい。脂をスッと流せば、また一口欲しくなる。秋鯖と新酒。絶品の組み合わせ。焼いてもよいし、味噌煮にしても。心地良い秋風を頬に感じつつ、名月の下でゆったりとした時間を堪能したい。そう。したい。したい、のである。

  甘海老のとろりとあまき今年酒  片山鶏頭子

 同じ作者が今度は甘海老。せっかく、秋鯖をなんとか我慢したのに、今度は甘海老だなんて、なんとご無体な。したい、じゃなくて、する。秋になったら絶対に堪能するの。もう決めた。〆鯖と甘海老を肴に、新酒をがぶがぶ呑んじゃうから。おっと。失礼しました。噛んだ途端にとろりと口の中に広がる甘さ。あの濃厚なとろりへ新酒をキッと一口。絶妙の味覚。舌も頭も大喜び。〆鯖の酸いと甘海老の甘み。それらを包み込む酒の懐の深さ。たまらぬ美味。嗚呼、ほんとたまんない。

  よく飲まば価はとらじ今年酒  太祇

 ぐいぐいとたらふく。しかも「旨い」「絶品」と褒めちぎれば、お勘定は要らないってことになるんじゃないか。確かに新酒はめでたいもの。祝儀ということで。とはならないのが現実。学生時代、バイト先の居酒屋にて。この頃たびたびいらっしゃるお客さんから「学生は飲みたくても金がなかろう。私が出すから好きなだけ飲みなさい」とのこと。ありがたく、冷酒を一升半ほどいただいた。大満足。

「ごちそうさまでした」

「三千円」

「え」

「三千円よこせ」

 タダ酒なんて、そんなうまい話はない。三千円で一升半飲めたのだから、勿論充分過ぎるくらいなのだが。今、そんなに飲んだら、帰りはタクシーではなく救急車、自宅ではなく病床へレッツゴーとなるだろう。若いとは恐い。もうお会いすることはないであろう、そのお客さんの方がヒヤヒヤしていたに違いないのだが。

  馥郁と流人の島の今年酒  鳥居おさむ

 飲み過ぎの罪により私が流された訳ではない。「流人の島」というと佐渡か、それとも隠岐か。その島の今年の酒が馥郁と香る。流人というと歌舞伎の「俊寛」を思い出す。九世松本幸四郎の俊寛があまりにも壮絶で我も忘れて見入った。歌舞伎を鑑賞しつつ、その馥郁たる新酒をちびりちびりとやりながら。両隣には和服の美女。嗚呼、なんという絵空事。空しくなってきた。「酒だ、酒だ」とでも言いたくなるのは、こういうときか。しっかりとただいま体験させていただいた。

  新酒汲みとどのつまりは艶話  片山依子

 いや、その。確かに「両隣には和服の美女」と妄りな想像をしましたがね。とはいえ、老若男女問わず、酔えば好いた惚れたの艶っぽい話になる。艶のある話ならばまだよいが、下世話なエロ話、所謂下ネタとなると辟易する方も多かろう。私は酔うとそういう話をする、らしい。意識も記憶もないが、周囲はそのように言う。それも露骨な下ネタだ。と周囲は言う。おそらく意識も記憶も「これを残してはなるまい」と自己防衛策を打ったのだろう。  あ。下ネタを言っている前提で話を進めてしまった。間違えた。いや、間違えているのは私の人生ではなく、話の方だ。濡れ衣の可能性は捨てない。絶対に捨ててなるものか。録音装置を酒席に持ってこられたことがある。たらふく飲んだ。録音されていたのは周囲のおしゃべりと私とおぼしき高いびきだけであった。下ネタは皆無。おそらく、自己防衛策の一環なのであろう。

 なんだか「私は下衆です」と懺悔しているような気がする。雰囲気をかえよう。

  胸中の父をよごさず今年酒  岩永佐保

 胸の内に映す亡き父の姿。お酒の好きな人だった。それで母や私を悲しませたこともあった。しかし、それはもう、よい。今、胸の中の父は凛々しく、逞しく、精悍な姿である。何ぴともよごすことはできない。父の愛した酒を、今年の酒を、献杯。澄みわたるその一杯が美しい。

 それぞれの年に、それぞれの今年の酒がある。十人十色、さまざまな思いが人にはある。それでも口にふくんだ旨み、感動はみな同じ。今年の酒を、今この瞬間の己れの胸の内をしみじみと味わいたい。

  とつくんとあととくとくと今年酒  鷹羽狩行


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