2017年5月5日金曜日

【平成俳壇アンケート 第2・3回】 島田牙城・北川美美


アンケート回答 ●島田牙城●

1.回答者のお名前(島田牙城
2.平成俳句について

①平成を代表する1句をお示しください
人類に空爆のある雑煮かな  関悦史

②平成を代表する俳人をお書きください。判断が難しいので2つに分けて結構です。

➊大家・中堅(金子兜太
➋新人(佐藤文香

③平成を代表する句集・著作をお書きください。(高野ムツオ『萬の翅』

④平成を代表する雑誌をお示しください。(「週刊俳句」

⑤平成俳句のいちばん記憶に残る事件を示してください。(俳句甲子園の定着

⑥比較のために、俳句と関係のない大事件を示してください。(インターネットの普及

3.俳句一般

①時代を問わず最も好きな俳人を上げてください。(波多野爽波
②時代を問わず最も好きな俳句を示してください。(チューリップ花びら外れかけてをり 波多野爽波

4.その他
(自由に、平成俳壇について感想をお書きください)
平成の俳句は平穏であることの素晴らしさを教えてくれるものだったように思う。
平穏の象徴としての、関悦史の「雑煮」を思う。
大きな動きがないのは、イデオロギーの時代ではなくなったからであり、さして問題ではなかろう。

それよりも、平穏であるということは、社会的に付け入る隙が多々あるということでもある。
そこのところを、俳句を作る一人の「人」として注意していきたい。
兜太さんを上げたのは、多くの昭和俳人が平成の前半から半ばには他界しておられるのに、終に平成を全うされようとしているからだ。

ところで、平成の後半は、一気にインターネットが普及し、それまでにワープロに慣れてきていて俳人たちが、もっと精度の高い、容易で安価な印刷技術を手に入れたこともあり、少人数の同人誌が多く創刊された。
それとともに、SNSの普及で個人的にインターネットで俳句を発信するという俳句との接し方も生まれた。
半面、従来からの主宰誌は多く会員減少による財政難に悩まされ始め、 統合や廃刊に追い込まれるというケースも散見される。
今後、同人誌の役割が格段に増すだろう。
その中で主宰誌がどのような存在感を示してゆくのかが問われている。 桂信子が言うた「本当の俳句」に出合う場、森澄雄が言うた「真剣な遊び」としての句会の場、をいかに確保するのか、または、そういう場は必要ないのか、次の世へ持ち越された大きな課題ではある。


アンケート回答 ●北川美美●

1.回答者のお名前( 北川美美 )

2.平成俳句について
①平成を代表する1句をお示しください(人類に空爆のある雑煮かな 関悦史
②平成を代表する俳人をお書きください。判断が難しいので2つに分けて結構です。
➊大家・中堅( 金子兜太、金原まさ子 )
➋新人( 関悦史 )

③平成を代表する句集・著作をお書きください。( 山本紫黄 「瓢箪池」 )
→非常に個人的理由。発刊直後に自分の師でもあった作者が急逝。昭和に出されるはずだったものが先延ばしで平成になった。池田澄子氏の勧めがあり本人を動かし実現した句集だが、自分にとって忘れられない句集となった。

④平成を代表する雑誌をお示しください。( 「WEP俳句通信」 )
→ひねくれ回答かつ拙稿掲載誌になるが、取扱書店が少なく、なかなか普及するまでに至らない俳句雑誌の割には、内容が濃いと読むほどに思う。アンチ若者という風情もあり、俳句甲子園系の若者に全く迎合していない雑誌という印象がある。作品に於いては結社主宰、大家の作品が掲載され、新鋭とされる実力派の作品も堪能できる。紙離れの平成の世に、不思議と継続し続けているレアな俳句雑誌である。

対極として、「週刊俳句」「豈weekly」「増殖する歳時記」インターネットで俳句が読める革新的な雑誌が読者数を伸ばしたことが挙げられる。

⑤平成俳句のいちばん記憶に残る事件を示してください。(「関揺れる」「天使の涎」など社会事象的側面を持ちながら即座に句集が作られたこと。そこにはSNSや携帯などの通信の発達があるのだろう。

⑥比較のために、俳句と関係のない大事件を示してください。(事象としては、インターネット、PC、を含む通信の急速な発達と普及。二万人が亡くなられた事件と捉えれば東日本大震災。

3.俳句一般

①時代を問わず最も好きな俳人を上げてください。(三橋敏雄

②時代を問わず最も好きな俳句を示してください。(いつせいに柱の燃ゆる都かな

4.その他
(自由に、平成俳壇について感想をお書きください)
個人的には、昭和63年平成元年の1989という数字を私は忘れることはないだろう。個人的回想はさておき、時代としての平成のみを想えば、昭和の影を引きずりながら、永遠に昭和が終わらない時代、いや、昭和の終焉を無理やりにでも型をつけていかなければならない状況に陥ったのが平成であったのではないかと思う。そして、平らかに穏やかな時代、ロハス、ストリートファッション、エコ、リラクゼーション、などの言葉がその時代性を物語っているのではないだろうか。

さて、平成俳壇として考えた場合はどうか。万人にわかる俳句、平穏性を重んずる風潮、故に、主宰がカリスマとして、作品の魔力で団体を引率した時代は朧げにすでに終っている印象がある。それゆえに、結社誌や同人誌の終焉、結社離れ、協会離れ、紙離れが起き、読者は数多の選択肢から選ぶことが出来るようになった反面、何がどうよい作品なのか、読者は何を信じて俳句を読んでいったらよいのかが不明瞭になった時代とも言えるだろう。

俳諧が正岡子規により俳句となり、4S、新興俳句、と長らくの句座、団体を重んじる風潮が俳句にはあった。昭和の終焉を経て、座、団体とは関係なく、個として活躍する場へと移って来たのが平成俳壇ではないか、と客観的に思う。自由になった反面、何がよいのかを読者、実作者は失いかけているとも思える。 読者、実作者である個の判断がこれから試される厳しい時代なのではないかと思う。

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