2015年12月11日金曜日

【短詩時評 8往】 ニューウェーブをめぐるデジタル・ジャーニー-行きの旅-  柳本々々




【0、旅に出る前に】
  「じゃあ、キノは? キノは、どうして旅を続けてるの?」
  (時雨沢恵一「森の中で・a」『キノの旅』電撃文庫、2000年)

短歌には、ニューウェーブという流れが1990年代頃からあって、そこでは記号をたくさん使った短歌が生まれたりしました。この記号と短詩の問題は、いま川柳で問題になったりはするけれど、短歌ではもう取り込まれてしまったものとしてあるんじゃないかと思うんですね。ひとつの短歌言語になっているのだと。でも川柳ではまだ川柳言語にはなっていません。

そこでニューウェーブの当時の言説のなかに入っていきながら、当時どのようにニューウェーブがとらえられていたかをさぐってみたいというのが今回の文章になります。うまくいくかどうかはわかりませんが、とりあえず出発してみようと思います。


【1、わかりやすい旅、わかりにくい旅】


  小さな声は言った。「第三の選択だ」「なにそれ?」
  (時雨沢恵一「大人の国」『キノの旅』電撃文庫、2000年)

荻原裕幸さんが、『短歌』1991年5月号で組まれた特集「現代短歌のニューウェーブをさぐる」における「「場」の外部へ」という論考において、1980年代の短歌の「文体の変遷」を「詩的言語(=隠喩的言語)」から「散文的言語」への流れとして指摘しています。

荻原さんが指摘するように短歌史における1980年代半ばから90年代前半の流れを概括してみるならば、1987年の俵万智さんの『サラダ記念日』といった〈ライトバース〉=散文化から、荻原裕幸さんや加藤治郎さん、穂村弘さん、西田政史さんなどの散文+技法・記号化としての〈ニューウェーブ〉の流れがあります。

〈ライトバース〉は主に口語化・散文化がその主たる特徴ではあったんですが、90年代前半の〈ニューウェーブ〉と呼ばれる流れは各自がめいめいの立場からそれぞれのやりかたで記号言語をふんだんに取り入れ、独自の技法で、短歌をあらわしていったというのが特徴的だったのではないかと思うんですね。

かんたんにいえば、当時の、糸井重里さんを代表とするコピー文化とあわせて論じられることも多い俵万智さんの〈読みやすい・わかりやすい〉短歌から、ニューウェーブの短歌は〈読みにくい・わかりにくい〉短歌として、読み手が枝分かれする短歌になった(だからこそ、ニューウェーブにはそれまでの短歌の系譜とは切断されるような「ニュー」がついていた)。

〈わかりやすさ〉としてのキャッチ・コピー的な読み手を一枚岩化する短歌から、〈わかりにくさ〉としての読み手を微分化・細分化してゆくような〈わかりにくい〉短歌へ。

それはそれまでつちかわれた短歌の伝統や戦後短歌の流れからの〈切り離し〉ともなっていたのではないかと思うんです。なぜなら、それまでの短歌の枠組みや読みのコードでは、ニューウェーブの読解が不可能だったからです。〈わかりにくい〉とはそういうことです。もっと言えばその〈わかりにくい〉理由は、ニューウェーブがそれまでの戦後短歌の系譜と切断されていたからじゃないかと思うんです。

「自然体で振舞う歌人達」(『短歌』1991年5月)において細井剛さんは、「ニューウェーブ」が「戦後短歌の歴史と無縁な地点から成立」していると指摘しています。

細井さんは、「ニューウェーブということばが使われだしたのは、……一九八九年の後半くらいからではないか」と述べ、ニューウェーブの特徴として「自然体」をあげて、「みずから自由に振舞うだけに、他に対しても、みずからの考えを強要しないという、自他にフリーハンドを与えておく」という指摘をしています。

〈自然体〉=〈自由〉に見えるのはそれまでの短歌の枠組みから抜け出てしまうことで切り離されているからだし、また「みずからの考えを強要しない」というのも、そもそもがニューウェーブの短歌は一括りにすることさえ難しく、どう読み解けばいいかもめいめいで違っているためわかりにくく、また読み解きも読み手がどのような読みの枠組みをもってくるかで解釈が別れてしまうことを示唆しています。細井さんのいう「フリーハンド」とは〈読むことのアナーキー〉でもあったはずです。


【2、かきとりやすい旅、かきとりにくい旅】

  「でもその後、そのおかげで機械がさらに発達して、この国ではそれでも生活できるようになってしまった。だからみんな、今でも森の中の離れた家で一人で生きているんだ。自分だけの空間で、自分だけが楽しいことをして……」
  (時雨沢恵一「人の痛みが分かる国」『キノの旅』電撃文庫、2000年)

なぜ、このように戦後短歌から一気にニューウェーブは〈無縁〉化してしまったんでしょうか。

すぐにこの答えに大まかに答えてしまうならば私はそれは1990年前後に起きたメディア環境の大きな変化ではないかと思うんです。

それはインターネット環境が次第に整い、パソコンが生活の一部として常態化・全般化していくという、大きな変化です。

水越伸さんは、『21世紀メディア論』(放送大学教育振興会、2011年)において90年代前半のメディア環境を次のように指摘しています。

 1990年代前半、それまで研究者や専門家に利用が制限されていたインターネットが一般に公開された。パソコン通信が個別通信サービスのネットワークに閉じていたのに対して、インターネットはまさに、ネットワークのネットワークとして世界のあらゆるネットワーク・ユーザーを結びつけるものであった。

ここでニューウェーブといわれていた加藤治郎さんや穂村弘さんがコンピュータに関わりの深い職業でもあったことに注意したいと思います。彼らはデジタル・メディアの環境に敏感な立場にありました。

『短歌研究』1992年2月号の「作品+エッセイ〈今の世の中、歌人は何を考えているか〉」に加藤治郎さんの連作「ディア」が掲載されています。その連作の下に加藤さん自身によるエッセイが載っているのですが、「ダウンサイジング」という情報システムがコンパクトになり、あちこちにますます分散・分布・散乱していくであろうメディアの現況が書かれています。

これはまさしく今の時代がそうなのですが、現在わたしたちの社会では手塚治虫のマンガに出てくるような巨大なマザーコンピューターがなくとも、みながスマホやiPhoneを持ち歩いている汎メデジタルメディア状況ですよね。「ダウンサイジング」はマザーコンピュータ並のデータを各自が鞄やポケットに入れて持ち歩き、指でスクロールできるまでになっています。

加藤さんのエッセイを少し長くなりますが引用してみましょう。


 九〇年代以降、情報システムの分野では「ダウンサイジング」(小型化)ということが注目を集めています。「ダウンサイジング」とは、ホスト・コンピュータを頂点とした中央集権的な情報システムから、クライアント/サーバー・モデルという分散情報システムへの転換のことです。要はホスト・コンピュータを王のように崇めて、すべてのマシンが端末としてその支配下にあった時代が終わったのです。そしてLAN(ローカル・エリア・ネットワーク)に接続された小型高性能マシンが相互に役割を分担して、連携処理でもってアプリケーションを構築してゆく、そんな時代がやってきたというのです。 
実に、ようやくプレモダン的なトゥリー構造が崩壊したわけですが(ホスト・コンピュータの機能強化を考慮すればモダン的な構造と言えましょう)多様な散乱を受け入れるポストモダン的なパラダイムにはまだ至っていないようです。いずれにしろ現実の情報システムの変革が社会思想のモデルとマッチングしているのは興味深いことです。
こういった変革を実現してゆくのがシステム・エンジニア(SE)であり、プログラマーなのであります。

加藤治郎さんが志向しているのは、デジタルメディアが(トゥリー構造のような位階的に連接されていくかたちではなく)あちこちに思いがけないかたちでリゾームとして根をのばしていくような〈中心のない〉メディア環境です。そうしたデジタルメディアの隅々までへの思いがけない浸透はそれまでの〈書く行為/語る行為〉をも更新することになったはずです。

そのことと関連して、この加藤さんの連作「ディア」においてふしぎな結句の書かれ方がされていることに注意したいと思うんです。


  動脈のような地下道もまれゆくコートの肩だひいふうあんや  加藤治郎

  園長は坊さんだった豚汁の大鍋がある部屋はおそぎゃあ  〃

  せんせいの指が砂場のトンネルを崩していくねひいらああいいて  〃

  あたらしい薪に薪こすられて火の粉はのぼるおひゃいとおぶろ  〃

  つつきつつ焚いているのはなんだろう鹿の角おひゃあら、るらあんや  〃

「ひいふうあんや」や「おそぎゃあ」「ひいらああいいて」 「おひゃいとおぶろ」「おひゃあら、るらあんや」というもったりしたような、べったりしたようなひらがなの使い方。

ここでひとつ〈現代の視点〉からこのふしぎなひらがなの表記を考えてみます。現代のネットで有名なことばに、アニメ『サザエさん』のマスオのセリフ「びゃあ゛ぁ゛ぁ゛うまひぃぃ゛ぃ゛」というのがあります。これは『現代用語の基礎知識2008』(自由国民社、2008年)にも収録されているほどの言葉です。 解説を引いてみましょう。

 マスオさんの名言。2007年5月27日に放送された「サザエさん」の「全自動タマゴ割機」の回で「全自動タマゴ割機」によって割られた玉子で作った玉子焼きを食べたマスオが発した一言。カオスなストーリーの「全自動タマゴ割機」の回を象徴する一言として、注目を集め、ニコニコ動画などで話題を呼んでいる。

この「びゃあ゛ぁ゛ぁ゛うまひぃぃ゛ぃ゛」はマスオが卵料理を食べたときのセリフの〈空耳〉です。脚本その通りの表記ではありません。空耳として〈再話〉化されたものです。

大事なことはこれが声に出して〈再・発話〉できないとういことです。〈声〉でたのしむものではないんです。〈眼〉でたのしむものなんです。〈眼〉で読むことばということです。だからこれは実は〈空耳〉ではありません。むしろキイボード的表記を活かして〈創作〉していく、あえていうなら〈創耳〉に近いものです。この言葉は、耳で聴いて・鉛筆で書き写した〈空耳〉ではなく、あらかじめパソコンのモニターで鑑賞されることを想定されたパソコン言語なのです。

通常の表記(脚本)から〈音声〉化された言葉だったはずのものが、キイボードの言語で打ち込みなおされることによって〈音声〉へさかのぼることを禁じられ、〈脱-音声化〉=〈異化〉されることによって〈新しい〉ことばになり、受容されていく。そしてそれがネットで〈視覚的快楽〉として流通し、〈眼〉によって伝播していく。これは〈聴覚〉ではあらわせない。声としては。モニターでしかあらわしえない。パソコンのデジタルなモニターでしか。

この「びゃあ゛ぁ゛ぁ゛うまひぃぃ゛ぃ゛」を取り巻くメディア状況は実は加藤治郎さんの結句のふしぎな表記のあらわれ方によく似ています。むしろ、今のネット言語状況を〈先取り〉していたといってもいいのかもしれません。「ひいふうあんや」、「おそぎゃあ」、「ひいらああいいて」、「おひゃいとおぶろ」、「おひゃあら、るらあんや」には〈眼〉でみるたのしみ、それを打ち込む快楽があるからです。そしてそれがそれまでなかった〈詩〉として昇華するのです。

しかしここで注意しておきたいことは、「それまでなかった〈詩〉」と述べたものの、それまでなかったのは短歌の技法や枠組みではなかったということです。短歌の技法や枠組みがなかったというよりも、メディア環境がなかったのです。加藤治郎さんはデジタルなライティング=デジタルなエクリチュールで詩に接近していますが、これは当時のメディア環境を加藤さんが敏感に感受し、短歌に共鳴させたとものといってもいいと思います。ある意味ではメディアが加藤さんに〈書かせ〉ているのです。

だからニューウェーブとは、なんだったのかと率直にいえば、それは〈メディアの感受性〉だったのではないかと思うのです。それはもはや短歌の枠組みのなかでだけ作用するものではありません。メディアの枠組みを通して機能していたものだったのです。

実際この加藤さんの連作には「出力」や「キイボード」というデジタルメディアに関連したことばそのものが出てきます。


  キイボード!ってわめいたのは百つぶの乾いた苺でした そっちも  加藤治郎

  庭石がしんしんならぶ冬のゆめだけれどさきに出力したら  〃


「キイボード」と「苺」の取り合わせ。「冬のゆめ」と「出力」の取り合わせ。日常的な事・物が平然とデジタル用語と並列化され、つなぎあわされる。日常とデジタルが自然と並べられ、短歌として融合されることに〈詩〉が見いだされています。

この1992年2月号の『短歌研究』の同じ号では穂村弘さんが「講座・歌人のための「コンピュータ学」-ベビードラゴン-」という文章を書いているのも興味深いことです。なぜなら、穂村さんもまたコンピュータというデジタルに〈詩〉を見いだしているからです。

そこで語られているのは、コンピュータの奥にある闇=精神です。穂村さんもまたデジタルの奥にゼロワンで割り切れない詩的領域を見いだしているのです。やはり長くなるが引用してみましょう。

 歌人にとっての韻律感や喩的感応力といった能力が簡単には言語化し得ないように、プログラマーがコンピュータの精神に向かう時に必要とされる能力も、言い表すことが難しい。どうもそれは「論理的な思考力」というような分かりやすいものではないらしいのだ。先ほどコンピュータの精神も高度なものになるとその内部は〈闇〉だと言ったが、プログラマーの適性も最終的には思考の論理性よりもむしろ不可視の世界に対する感応力が問題になる。コンピュータの精神は、単純で論理的な細部の果てしない組合わせによって不可避的に自らの内部にバグを抱え込み、やがてその論理性の上位に〈オーラ〉というか〈うねり〉というかほとんど〈個性〉のようなものを生み出す。
  …(中略)…
  ある種のプログラマーにとっては本当にコンピュータの中にすべてが埋まっているのだ。そこでは1(ワン)と0(ゼロ)によって、根拠もなく現実と呼ばれているこの世界の徹底的な読み替えが行なわれる。プログラマーは指先から静電気の火花を散らしてキーボードを叩き続け、ついにはもうひとつの現実が生み出される。それを偽の世界と呼ぶのなら現実もまた偽の世界だし、現実がリアルならばその世界も同様にリアルなんだろう。

「偽」と「現実」と「リアル」の混淆。

こうした加藤治郎さんや穂村弘さんのデジタルメディアをめぐる言説は、実は同時代の言説とも共鳴しあっているのですが、それは次回の〈帰りの旅〉にしたいと思います。とりあえず、目的地です。

  「それに?」「止めるのは、いつだってできる。だから、続けようと思う」
  (時雨沢恵一「森の中で・b」『キノの旅』電撃文庫、2000年)

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