22.堀下翔から筑紫磐井へ(筑紫磐井←堀下翔)
the Letter from Kakeru Horishita to Bansei Tsukushi
俳句は文学か、という話になりましたね。僕の短い人生でもガキから大人までが折に触れて議論を戦わせていたりあるいは持論を展開していたりしている印象があります。俳句は遊びだ、とか、俳句は庶民のものであって「学」ではない、とか、そういったあたりの話はよく聞くところで、それは少し精神論めいているような気もしないではないのですが、とにかく俳句は文学ではないという言説は根強い。第二芸術論を俟つまでもなく、です。
たしかに〈文学〉の概念は文明開化で流入したものですから、俳句に限らずおよそ全ての古典は文学としては書かれていません。その点、自らに文学意識を課した明治以後の作家とは区別する必要があります。〈文学〉の誕生とともに国民的歌謡「としての」万葉集、国民的長編小説「としての」源氏物語、国民的英雄譚「としての」平家物語がここに改めて成立していっただけであり、それらは〈文学〉として書かれていったものではない。そういう意味で俳句を文学ではないと言ってしまうことはできるでしょう。がしかし万葉集は、源氏は、平家は、文学ではないのでしょうか。明治以後百年以上を費やしてそれらを文学として捉えていった行為はすべて無駄だったのでしょうか。そうではないのは明白 だと僕は思います。言い換えればそれは文学という方法で個々の作品を読む行為のことであって、源氏にせよ俳句にせよ、それは文学として書かれていない、と言って切り捨てるのはお門違いの感があります。その枠組みの中にあって、バルトの発想をこれに用いるのが適切かどうか、という話があるのみではないかな、と。尤も以上は全て直感的な発言ですが。
いくつかテクストに関して質問がありましたが、回答は少し先延ばしにします。〈「テクスト」には作者は不要であり、編集者こそが不可欠だからです〉が特にそうなのですが、いまひとつ呑み込めないところがあって、ちょっとそれは違うんじゃないの、とは思っているのですが、いましばらく整理してからお返事したいと思います。
それにしても(と時間稼ぎをしますが)、やや意外なのは俳句は文学ではないと言った同じ人が俳句は詩であると考えておられるところです。俳句は文学か、という設問とごく似た場所にあるのが俳句は詩か、の問いだと思います。俳句は詩ではない、という人ともよく会います。僕は上と同じ理屈で、俳句の言葉を詩として捉えることにはそれなりの意味があると思っていますが、日常お世話になっている島田牙城などはことあるごとに俳句は詩ではないと書くので、そこだけは相いれません。この一派には詩という言葉を現代詩と同一視しているようなところが往々にしてあったりもして(前衛俳句に対して「現代詩の一行のような」といった評をするのは常套手段でしょう)、そういった意味ではたしか に別物ではあるのですが、音楽的な、喚起的な言葉を詩と呼ぶとき、そこには俳句もあるように思うのです。これもまた僕のカンです。お伺いしたいのは、磐井さんはどうして俳句を詩だと思われるのか、という点です。
23.筑紫磐井から堀下翔へ(堀下翔←筑紫磐井)
the letter rom Bansei Tsukushi to Kakeru Horishita
1.俳句は文学ではない
(1)「俳句は文学でない」派は、全く俳句は文学でないとは言っていません。我々は、現代に息する以上、俳句も文学であるという見解の影響を受けてしまっています。「俳句は文学でない」派は、乱暴にいえば、俳句は50%ぐらいは文学であるが、文学となっていない50%ぐらいがあると考える人々です。「俳句は文学である」派が余りに横暴であるから、少しそれをオーバーに言っているのです。これくらい言わないと、「俳句は文学である」派は反省しないからです。石田波郷も、高濱虚子も、山本健吉もここでいう趣旨とそうは違っていないと思います。
一方、「俳句は文学である」派は、俳句は100%文学であると信じている人々です。逆にいえば、俳句に文学でない要素は全くないと考えているような人々です。その意味では教条主義的な発想が強いといえます。例えば、花鳥諷詠俳句をこれらの人々は、文学ではない、近代以前の抹殺すべき俳句だと考えます。これは間違っているということを主張するために、「俳句は文学でない」派に与しているにすぎません。
こんな心をこめて私は次のような句を詠んだことがあります。なかなか好評でした。
俳諧はほとんど言葉すこし虚子 磐井
(2)議論を進めて、御質問の「万葉集は、源氏は、平家は、文学ではないのでしょうか。明治以後百年以上を費やしてそれらを文学として捉えていった行為はすべて無駄だったのでしょうか。」は全く異議がありません。当然のことです。ただこれは裏返して「「(万葉集、源氏、平家について)明治以前1100年以上を費やしてそれらを文学でないものとして捉えていった行為」も尊重すべきでしょう。近代100年の歴史を尊重して、近代以前1100年の歴史を無視するのは筋違いです。
「俳句は文学でない」派は上にのべたように折衷派――日和見派なので両方の見解を受け入れることが可能ですが、「俳句は文学である」派は寛容性が無いために上のようなダブルスタンダードの受け入れは不可能ではないかと思います。
ついでながら、文学として受容されていない万葉集、源氏、平家、あるいは俳句、短歌などが、文学としてすべて受け入れられたわけではありません。それはジャンルによる厳しい選別が行われているのです。近代による、「近代以前」の圧殺です。あまり適切な例とは言えませんがその破壊力がすさまじかった例として、また身内破壊の例として、明治の国家神道(神の道を近代に昇華させたもの)をあげましょう。国家神道は、日本全国の村々の神社を多く破壊していきました(県によっては90%の神社が破壊され、二度と復元できなかったといいます。(驚くことに異教徒やGHQでなく)明治政府そのものがある意味で最大の神社の破壊者であったのです。これまた余談になりますが破壊したその理由は、国家が奉納しないといけない幣料を節約するための行政改革であったといいます。誠に合理的な判断で即座に納得してしまいました)のと通う恐ろしさがあります。例えば「俳句」は確かに文学として受け入れられていただいたようです(ここではわざわざ敬語を使ってみます)。「川柳」はやや微妙なところがあります(私ではなく「俳句は文学である」派の受容態度です)。「雑俳」は、たぶん世間一般、また「俳句は文学である」派では文学として受容されていないと思われます。そう、文学として垣根を立てる以上このようになることは避けられないでしょう。私は、「俳句は文学でない」派なので、何ら垣根を立てず、現在残る「文芸塔」冠句、岐阜狂俳、「自由塔」狂俳、土佐テニハ、肥後狂句、薩摩狂句など、地方地方の芳醇なる雑俳文化を文学でないと言って否定する態度はとりたくないと思っています。
最後に言えば、「俳句は文学でない」派は謙虚ですから、以上のように文学か文学でないかを裁断することに関心を持ちません(「俳句は文学である」派は厳しく裁断するから、その意味で桑原武夫と何ら変わらないでしょう)。私に関心があるのは、なぜ文学でない要素が俳句に入っているのか、文学でない言語芸術(これもまたややこしい用語ですが)が他にないのか、文学でない要素はどのような豊かさを持っているのかであり、それを確認したいと思うだけなのです。
2.俳句は詩である
(1)俳句は文学でないといいながらなぜ、俳句が詩であると言うのか。
上述の「俳句は文学である」派批判で私が取ったのは、論争の簡略化です。長くくどい文章を費やさないでも一言で納得できる理窟を採用したのです。「俳句」―――少なくとも芭蕉の俳句(これも俳諧と言わなければなりませんが)が文学であるかどうについて消耗な論争するよりも前に、(近代以前の俳人の代表である)芭蕉は「文学」という言葉を使ったことはなく、芭蕉の頭の中に俳句は「文学」であるという思想は存在していなかったと、形式的に整理する方が手っ取り早いからです。
もちろん、文学の内実が実は芭蕉の中に存在していたことはあり得るのですが、それは「芭蕉の文学」と簡単に言ってしまうのではなく、様々なジャンルとの関係で緻密な議論をしなければなりません、もちろんこれは有益ですが、そう簡単に結論は出ないように思われます。また、そうして明らかになる文学は、あなたの今考える文学、私の文学、未来の読者の文学とも少しずれているかもしれません、それはまだ学問的に究明されていない領域であるような気がします。間違いなく、夏目漱石の父親の「文学」とは違います。
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同じ論法を、「伝統」という概念を使って、芭蕉は伝統という言葉を使ったことはなく、芭蕉の頭の中に俳句は伝統であるという思想は存在していなかったと、言ったのが、堀切―筑紫の論争における私の主張です。文学よりは領域が限定されているだけに、芭蕉の伝統、子規の伝統、虚子の伝統と比較する議論が多少進んでいるように思います。
このような、前処理論争として考えてみると、「芭蕉は「詩」という言葉を使ったことはなく、芭蕉の頭の中に俳句は「詩」であるという思想は存在していなかった」と、直ちには、――つまり形式的にいえないことは明らかです。芭蕉の時代に明らかに「詩」はあったからです。いや、芭蕉は盛んに「詩」を論じているからです。だから「俳句は詩である」という命題は(「俳句は文学である」という命題ほどアナクロニズムではなく)ただちに間違っているわけではないと思います。
(2)ただ賢明な堀下さんには言わずもがなですが、「俳句は詩である」とは、「俳句は現代詩である」と言ってはいないことです。これからいろいろな、議論をすることになるので滑稽な論法も多少使わなければならず、ナンセンスを承知でいえば(実はナンセンスの中にも本質は存在する可能性があるのですが)「俳句は詩である」とは、「俳句は漢詩である」に近似しています。あきれる前に少し聞いてください。
「詩」とは明治初年は明らかに「漢詩」を指していました。我々が思う詩は、「新体詩」と呼ばれていたようですがそれさえ確定的ではありません、まだ呼称は揺れていたようです。明治中期に、漢詩を「漢詩」というようになり、新体詩を「詩」と呼ぶようになりました。帝国大学図書館の関係者たちが、広義の「詩の本」を分類するとき、図書分類を「新体詩」・「詩(漢詩)」→「詩(新体詩)」・「漢詩」に切り替えていったようなのです。文部省の帝国図書館(現国会図書館)より、帝国大学図書館の方が先んじているようですが、これは帝国大学教授たちが編んだ『新体詩抄』の影響があったかもしれません。なお言っておきますが、これらは私が途中までしか研究していないので確定的な答えではありません。ややいい加減な話であるが、まあ少なくともこんな経路で詩の由来を調べる必要があるということだけを納得して頂ければ結構です。
従って芭蕉の頭の中にある詩は、明治初年の「詩(漢詩)」「新体詩」との対立構図の中で理解できるということです。もちろん芭蕉の時代には「新体詩」が存在していないのはいうまでもありませんから、「漢詩」のようなものです。
(3)更に「詩」の場合は複雑な要因が存在しています。歴史の長い詩だけに、「文学」という用語にはない困難が存在しているのです。
①前回、私の初学の教科書が『文心彫龍』だといいましたが、『文心彫龍』やそれと兄弟関係にある『文選』をみれば詩の周辺には、騒、楽府、賦、頌、讃、銘、箴、誄、哀、碑、墓誌、行状、弔問、祭文から経、緯まであることが分かります。「詩」(「詩経」作品と考えてよいでしょう)といったからと言って「騒」「楽府」を除外することは絶対におかしいはずです。ということは、詩の周辺がどこまでであるのか、古代も現在も、わからないのです。とりあえず「詩」といいましたが、その意味することろは『文心彫龍』レベルの「詩の周辺」、分かりやすく言えば「詩のようなもの」ということなのです。
②さらに日本の例で照らしても、明治の新体詩を考えれば、古い詩とどれだけ隔絶があるのかは判然としません。『新体詩抄』(明治15年)は明らかに定型詩です。様々な韻律を用いながらも口語自由詩ではありません。「グレー氏墳上感懐の詩」を見てみます。
山々かすみいりあひの
鐘はなりつつ野の牛は
徐々に歩み帰り行く
耕す人もうちつかれ
やうやく去りて余ほとり
たそがれ時に残りけり
(下略)
これらが俳句と兄弟関係にあるということは、和歌、和讃(今様)等との関係を踏まえて実感としておかしくはないでしょう。定型詩の形式から言えば、少なくともここに掲げた詩は「和讃」と全く変わるところはないからです。
だから日本語の実態に即していえば、私の言った「俳句は詩である」は「俳句は詩のようなものである」なのですが、さらにいえば「俳句は詩(うた)のようなものである」といった方が正確かもしれません。
これは新体詩と歌・歌謡の関係ですが、更に言えば、前述のように明らかに対立関係にあるはずの漢詩と新体詩の関係を見ても、両者の関係が途切れてしまうものでもありません。新体詩の最も初期の傑作落合直文「孝女白菊の歌」(明治21~22年)が『新体詩抄』の編者のひとりである井上哲治郎の漢詩作品(これらの関係は頭がおかしくなりそうです!)「孝女白菊詩」(明治17年)の完全なる翻案であることはよく知られています。ある段階においては、漢詩を読み下し文にさえすれば新体詩が生まれることもあり得たのです。
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ここでは余計なことですが、ある時期に、新体詩と現代自由詩との一種の革命的な断絶関係が生まれたのです。(新体詩から現代詩への過渡については、「現代詩手帖」2004年8月号<伊良子清白とその時代>の筑紫磐井「伊良子清白と口語」で私の仮説を論じておきました)。こういうものこそ文学研究ではやるべき課題だと思います。
③従って私が、「俳句は詩である」といってもよいのではないかという漠然とした感じは、正確にいえば「俳句は詩のようなもの(「騒」「楽府」「新体詩」を含む)である」ということになるかもしれません。少なくとも、「俳句は現代詩である」は誤りです。舌足らずであったのでそのような誤解を受けたかも知れないので訂正しておく、少なくとも、「現時点において」俳句は現代詩であるとは、私は言っていないのです。
(4)というようなことをいくら延々と言ってもしょうがないので、結論としては「俳句は50%ぐらいは文学であるが、文学となっていない50%ぐらいがある」といっておけば貴兄と議論する場ができるのではないかと思います。花鳥諷詠は文学となっていない50%かもしれません。しかし立派な、「文学ではないかもしれない」(もはや、あまり議論する意味がないのであるが)俳句です。
「俳句は文学である」から派生する問題やその解答は、常識で想定できる範囲にありそうです。従って、俳句研究者には余り知的好奇心を呼び起こしてくれません。少なくとも、私の場合がそうです。しかし、「俳句は文学ではない」から生まれる諸課題・現象は「俳句は文学である」に馴染んだ頭からは想像もできない驚きを沢山生み出してくれます。私が、「俳句は文学ではない」から導き出したディテールを細々と説明すると、多くの人は、あまりの非常識に絶句します、しかしだからといってそれを正面から否定する論理を持てないようです。それは部分的な真理だからです。もちろん人を驚かせることが楽しいというだけではない、一番大事なのは、そこから、どうやら俳句の固有性が見えてくるようなのです。俳句は詩ではない、俳句は短歌ではない、なぜなのか。これが「俳句は文学ではない」発想を私が勧める所以なのです。共感していただければありがたいです。
どっちが傲慢なのかよくわからない文章である。たとえば小説は「文学」の一形態であろうが、小説にも「文学」以外の楽しみ方や魅力は当然ある。そんなことはどの分野でも同じことだ。「俳句は俳句である」というそれこそ傲慢な姿勢に閉じこもっているからそういう基本的なことすらわからなくなっているのではないか。
返信削除匿名批判は文学だと思う。思わない。どっち?
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