西瓜糖ほどの場所、他2つの短編、そしてあとがき。
小津夜景
一、版画の中に部屋がある
秋なれば手は柔らかな肉のもの
黄落の眠りといふを知らざりき
表面のひんやりとして秋の匣
龍淵に潜むドレスは頭から脱ぐ
ババロアの眼よりゆつくり揺れてをり
蚊帳を干す脂肪のついた白い腕
ふとここは寂び果ててゐる日の葡萄
むらぎもに桃をのせたままに歩く
待ちわぶる宵明けて読むカフカかな
小鳥来ていつしかゐなくなつてゐる
二、西瓜糖ほどの場所
庭木戸の方へ涼しき額をやる
古い木の櫂ごとくぐる秋虹は
わたくしは空き家であると名を告げり
さうねとぞ知らず答ふるつゆしぐれ
あかるさや枯れたる壺を手は抱いて
草の穂が惚れあふやうにかゆくなる
話しかけ返事は待たぬのが絮か
空薫きのこゑを日に日にまとひけり
西瓜糖ほどの此処なき眩暈かな
囮鳴くあなたもきつとさうだらう
三、彷徨とおいしいところ
月砕く井戸からそれとなく出たり
わくらばの地にこんもりと秋の舌
馬肥えていつもはしないことをする
おむすびの死角に午后のつぐみかな
白い皿的ななにかの穴に桃
花野より密室的なメニュウなり
つくねんと茸は狩らるるを待つも
雲隠らふカルアミルクよ月天心
忘却は星いつぱいの料理店
いつまでも死体だりんと鳴く虫だ
あとがき
語りそこなつたひとつの手を握る
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