第四句集『琥珀』所収。昭和六十三年作。
「中山道 望月の牧へ 四句」との前書のある冒頭句。
◆
前書の「中山道 望月の牧」とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十五番目の宿場「望月宿」あたりのこと称するようだ。
「望月宿」は、現在の長野県佐久市望月にあたり、天保十四年の『中山道宿村大概帳』によれば、望月宿の宿内家数は八十二軒で、本陣一、脇本陣一、旅籠九軒。宿内人口は三百六十であったとされる。
この「望月宿」の名は、平安時代からこの地を収めていた豪族「望月氏」の姓とされ、望月氏が朝廷や幕府に献上していた馬の名産地として蓼科山裾野の「望月の牧」からともいわれる。
望月氏の名は「望月の牧」からとされ、「望月の牧」の由来は、一族が毎年旧暦八月十五日の満月の日、つまり望月に馬を朝廷や幕府に献上していた為とされる。
◆
紀貫之(きのつらゆき)の和歌に
逢坂の関の清水に影見えて今やひくらむ望月の駒
があり、これは「駒迎え」の儀式の情景を詠んだもの。「駒迎え」は当時朝廷の馬寮の役人などが、逢坂の関(現滋賀県大津市)まで出向き「望月の駒」を迎えた儀式だという。
◆
掲出句は、この「望月の牧」を訪ねた折の、秋の「夜長」を詠っている。
おそらく五千石は前述の歴史や背景を解ったうえで、この地を訪れたのだろう。「中山道 望月の牧へ」という前書にも高揚感があらわれているように思われる。
現地での夜、酒を酌み交わしながら、いにしえの「望月の駒」に思いを巡らせた五千石だろう。
「山風は山へかへりぬ」は一般的に常套とも思われるが、献上されるため引かれてゆく望月の駒のことや、戦国時代には滅亡を迎える望月家のことを思うと、「山風」に風情が感じられる。
「夜長」を「夜長酒」という名詞で使ったことも、この句の手柄といえる。
◆
佐久市望月では、「榊祭り」が毎年八月十五日に行われるという。「榊祭り」は信州の奇祭と云われる火祭。榊と獅子で心を清め、火によって身の穢れを焼払い、豊作と無病息災を祈願するという。
一度は訪れてみたい地である。
0 件のコメント:
コメントを投稿