秋ですが、過ぎ去った夏を味わう「夏興帖」たくさんの句が到着。まだ未掲載分があり続きます。毎回の公開作品数にばらつきがありますが、ご了承ください。 俳句帖は大人数掲載も迫力があります。 集っているわけではないのですが、なんとなく似た作品が多い印象もあるというご意見もいただきました。不思議といえば不思議です。
時評は次号にて掲載となります。 外山か堀下か、堀下か外山か…。(敬称略)
ところで前号の浅津大雅さんの小諸レポート中より、
春風や闘志いだきて丘に立つ
のヨミが<しゅんぷう>という説があるということを知ったのですが(ホトトギス季題・新歳時記虚子編では「春風」は<はるかぜ>というヨミで紹介されています。)、そうなると 秋風も<しゅうふう>と読む場合ももちろんあるということですねぇ。秋風は、「秋風索莫(しゅうふうさくばく)」「星落秋風五丈原(せいらくしゅうふうごじょうげん)」の漢詩があるようです。
秋桜でコスモスというのもおしゃれというか、花弁の形が桜に似ているということですが…そうかなぁ。 とそれに子をつけると秋桜子(しゅうおうし)っていうのも凄いですね。そこから派生して、誓子、湘子と 男子に「子」を俳号付くのがあります。さらにさかのぼると聖徳太子、小野妹子など、「君子危うきに近よらず」のあの「君子」から来ているのですね…。と 春風から脱線しました。
今日は背中に秋風が吹き、そうとうサビシイ感じがしました。秋風を受けながらの志とはいかに。
秋風や! ではまた次号にて。
筑紫磐井
○「俳句新空間」No.2が無事刊行された(公式には8月30日付。発送は9月初旬)。考えてみると、この「BLOG俳句空間―戦後俳句を読む―」が昨年1月に開始されたとき、その主たる目的は「詩客」で始まっていた記事「戦後俳句を読む」を承継する役割であった。長丁場で続く作家論の場を、「詩客」離脱後もアーカイブとして見ることの出来る場が欲しいという切実な期待だった。
しかしその後、歳旦帖を皮切りに、6つの俳句帖が始まり、BLOGも俳句作品が中心となってゆくこととなった。たくさんの作家――それも年齢も所属結社もばらばらな作家たちが集まって作品を発表する場は珍しいこともあり、多くの方が集っていただいた。
さて、インターネット句会が面白くはあるものの定着しない原因がネットと印刷した本との結合がうまくいってない点にあることはみなよく知っているところである。そこで、BLOG上の作品をすべて活字化した雑誌――「俳句新空間」として刊行することとした。BLOGに抵抗感のある正統派俳人もこれで親しむことが出来るだろう。第1号では作品集となったが、第2号は鑑賞・批評も載せることが出来るに到った(私はBLOG上で作品発表は出来ても、批評は紙媒体でなければ信用されないように思っている)わけであるから、随分遠いところへきてしまったことになる。国立国会図書館へも納本されている。
BLOGで残った主要記事である「戦後俳句を読む」も、今般「豈」の特集「戦後俳句を読む」に集約される段取りが出来たことからますますあり方が変わってきた。
2年前と比べるとこれだけ変貌してきたのであるから、「BLOG俳句空間」の役割も新しく見直してみて良いだろう。
考えると、「―俳句空間―豈weekly」から始まったこうした新しい媒体は、常に新しくなければならず、旧態維持はあり得ない。創刊時にそれはプログラミングされているはずなのだ。ただ、新しくなると言うことは、理念も変わり、編集も変わると言うことだ。北川編集長と考えて行ってみたい。(9月15日)
オレンジ色の憎い奴
筑紫磐井執筆! 新人誕生の歴史!?
日盛俳句祭のキーマン本井英氏、都市の中西夕紀氏執筆!
「俳壇観測」連載中!
0 件のコメント:
コメントを投稿