2013年5月24日金曜日

第21号 (2013.05.24.)あとがき


北川美美

先週から通常使用のPCインターネット機能が働かず、右往左往。今号、予備のPCにて更新しましたが一動作が遅く気絶しそうです。修理と同時に予備PCの新規購入をあわせて検討中。新しい猿又同様、新しいPCが欲しいところです。

5月になり1日200アクセスを超えるようになりました。各項目ともアクセスが伸びています。PC環境を整え、気を引き締めて参りたいと思います。

金原まさ子さんのエッセイ『あら、もう102歳』(草思社)を読みました。おそらく口述編集と思いますが金原さんのお人柄が伝わってくるような優雅な気持ちになりました。その中で金原さんの経験を通しての結社について表現されている箇所があります。

俳句の世界は「結社」を中心に動いています。 
(中略)
わたしが三十年以上在籍した「草苑」という結社の主宰、桂信子さんは、俳句史に名前の残る俳人です。 
そして、たいへんにマジメな方でした。 
(中略) 
   一足す一は大きな一よ雲の峯 
という句を書いたら、桂さんがわたしの句を打ち消すように、一足す一を二にします、という内容の句を書かれたことがあります。 
ああ、お気持ちにかなわなかったか、と思いましたけれど。 
それでも、結社の横浜支部長という役職なども務め、「草苑」と桂先生には最後まで忠勤を尽くしました。

金原さんは、桂信子の結社「草苑」の創立同人であると同時に、「鷹」に別名で投句し、賞候補にもなられたことがおありになるとか。破門されていたかもしれないと吐露され、後になって桂信子先生に「ごめんなさい」と手紙をさしあげたところ「知っていましたよ」というお返事を頂いたと続きます。そして

桂先生は、九年前に九十歳で亡くなり、「草苑」は、どなたも継承せずに解散。たいへんきれいな幕引きでした。

と、桂信子さんの生き様すらも伝わってきました。

句集『遊戯の家』『カルナヴァル』は一夜にしてはならず、長い道のりがあったことを思い、また俳句をおやりになる方は同様、「上達したい!」という強い気持ちがおありになることを実感しました。

加えて、結社の縛りというのがよくわかりました。私も俳句を始めて間もないころに、ある結社の勉強句会に参加していました。主に70代の女性が多く、連帯感、協調性を大事にし、女学校の雰囲気が強かったように思います。それはそれで楽しいのですが、自分らしさというのを求める人にとって、その連帯感は時に窮屈になるかもという印象がありました。

現在、金原さんが表現されるような結社には所属したくないと考える人は多いと思えます。それなので、角川俳句賞などの賞応募が盛んなのかもしれません。認めてほしいので俳句をやるのか、名声が欲しくて俳句をやるのか、動機はさまざまでも、基本は、俳句をやる方はほとんど「上達したい!」と思い、上達度を確かめたいという気持ちで応募する人が多いのではないかと思っています。

5月は各賞の締め切りです。30句なり50句なりが並ぶのは壮観ですが実力もあらわになり応募することは、よい修練だと思っています。確かに受賞される方の作品は力がある。

だんだんこの後記が長くなり筑紫相談役のスペースをぐいぐいと押しているような気になってきました。「『眞神』を誤読する」に戻るための構想思案中です。









筑紫磐井

○俳句の時評を重ねて書くことになった。「戦後俳句を読む」は別にして、「現代俳句を読む」の項目と編集後記は一種の現代俳句時評のようなものだから、だんだん書きづらくなってくる。北川編集長のように洒落たエッセイ風にかければよいのだが、すぐ論争になってしまうので、風趣がないこと夥しい。

○5月の連休中に、虚子の旧居を確認するために鎌倉へ行った。これまでいろいろ虚子のことを書かせて貰ったのでお参りのつもりで出かけたのである。行った日が連休のピークにあたり、江ノ電はすし詰めの行列で乗り切れないほど混んでしまっていたので鎌倉駅から歩くことにした。それ程遠くはなく、ちょうど鎌倉散策にほどよい距離なのでお奨めしたい。笹目のバス停の手前で細道に入り、江ノ電の踏切に向けて歩いてゆく途中の閑静な一画である。江ノ電の踏切に面しており敷地には小さな句碑と案内板が残っている。

俳人、特にホトトギスの人にとっては、寿福寺ー虚子旧居として恰好のツアーコースになっているらしい(ゆっくり見て回っても一時間とかからない)。ただ、虚子の没後、無関係の人に売り払われてしまい、鎌倉で最も有名であるべき人の家が塀越しに覗くしかないのは残念なことである。

虚子は大正6年にこの地に家を構えたと言う(その前からこの近くで転々としたらしい)が、もしそれ以来改築していないのならすでに百年近くたったことになるはずだ。今や文化財となってもよいのだが、それも現在の所有者が望まないなら叶わない話だ。

屋敷を見つけて記念写真をとっていると、細い道を隔てた向いの家をたくさんの若い女性たちが写真を取っていた。「鎌倉彫わや」と看板が下がっている。ここは人気女優の剛力彩芽が出演した「ビブリア古書堂の事件手帖」というドラマのロケ地でとして使われたと言うことで、私が背を向けて虚子旧居の写真を取っていると怪訝な顔で睨みつけられた。虚子はなくなった後でも騒がせなのだとおかしかった。

虚子の文学館や記念館はたくさんあるが、これほど虚子の生活に直接かかわった旧跡はない、まさに今虚子が勝手口からくぐって出てもおかしくないし、現に虚子は五十年前にくぐって出たのであろう。何か格別御利益がありそうである。



※画像をクリックするとおおきくなります。

※昭和62年5月開催「高浜虚子展」図録(鎌倉文学館)

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