2013年1月25日金曜日

句集・俳誌渉猟(1)/筑紫磐井

  • 鈴木庸子句集『シノプシス』2011年11月3日ふらんす堂/2286円

 鈴木は1952年生まれ、1996年に「知音」に入会。句集は西村和子の帯文、行方克己の序文を付した処女句集。長男が慶応義塾中等部に入ったという縁で俳句を始めたという、まさに私などにはちょっと縁のない慶応ネットワークである。がんセンターに入院したときの

夏ある日ものみな白く見えにけり
を行方が激賞したという。これはなかなかいい。
句集は、題名が、シノプシス、各章がシャンゼリゼ、ピアソラ、マイナスイオン、バスケットシューズ、スイッチバック、モノクロ、ハッカドロップというカタカナばかりの章となっている。俳句そのものにはカタカナは少ないから、ちょっとけれんみをねらった句集構成といえようか。

子宮などなくてもをんな冬の月
かたまつてゐて傷ついて青くるみ


  • 秋尾敏句集『悪の種』2012年12月15日本阿弥書店/2500円

秋尾の第4句集。異色の句集である。全体が「暖かいころ」「暑いころ」「冷ややかなころ」「寒いころ」は春夏秋冬の子規に配したもので表記は変わっているが季節別・季題別句集は世の中に珍しくない。しかし、その各章の中は見開きごとに題が掲げられている。一種の主題詠だ。全体で69テーマあり、1テーマ6句を丁寧に詠んでいる。主宰誌「軸」が45周年を迎えたと言うことでの意気込みが伺える。

さめざめと泣く瀧もあり山の裏
匿名の木に覗かれている焚火

序文に志を語り、跋は「私をつくったもの・私がつくろうとするもの」、解説に松岡秀明の「越境と超越――秋尾敏論」を載せるという、秋尾を語りきったいささか饒舌な句集となっている(これは「俳壇」の連載記事<俳人クロニクル>を転載したためであろう)。電気工作(つまり理工系ということだ)、音楽、批評、そして俳句実作の順番で語るのが秋尾のキャリアにはいいらしい。「吟遊」を退会したという記事があって納得した。

  • 「枻(かい)」創刊号平成25年1月1日発行/1000円

橋本榮治の同人誌「琉」と雨宮きぬよの主宰誌「百磴」が合併して生まれた雑誌。橋本は馬酔木の同人、雨宮は馬酔木の同人であった殿村菟絲子に師事していたからまんざら縁がないわけではない。創刊のことば、作品も、橋本・雨宮の共同発行人が綺麗に並んでいる。同人作品は橋本の「琉集」榮治、雨宮の「梓集Ⅰ」(自選)「梓集Ⅱ」(きぬよ選)、会員作品は雨宮の「百磴集」、橋本の「枻集」とこれまた綺麗に並んでいる。橋本は「当初は二雑誌が併存するかたちで無理をせず、緩やかに溶け合ってまいります。すでに二年先、三年先の展望を胸中には描いております」と述べているから、現在は移行期間の第一歩ということらしい。

あをあをと畦の走れる雪の前 橋本榮治
考へることを止めたり枯葎 雨宮きぬよ
おほいなる肺活量や野分雲 関光義(百磴集巻頭)
ロスタイムのやうに釣瓶落しの日 平野典代(枻集巻頭)

  • 「郭公」創刊号平成25年1月1日発行/1000円

広瀬直人の病気により休刊となった「白露」を次いで井上康明が主宰する「郭公」が創刊された。「雲母」(飯田蛇笏ー龍太)ー「白露」(広瀬直人ー)「郭公」(井上康明)と継承することとなる。編集を長田群青のほか、新たに斉藤幸三、高室有子が加わっているが、私が学生時代に読んだ龍太の「雲母」と「白露」「郭公」のほとんど変わらないレイアウトは、良きにつけ悪しきにつけ伝統であろうか。私も知っている金田咲子、三森鉄治など大半の「白露」同人・会員が本誌に移行し、句会も看板を掛け替えて移行しているように見えるが、一方私と同世代で知名度が高く、直前まで「白露」の編集部に参加していた瀧澤和治、保阪敏子らは同人誌「今」を別に発刊するという。どんな事情があったのだろう。こんな中で長老の訃報も告げられた。有泉七種(91歳)逝去、ご冥福を祈る。

大いなる山に山影去年今年 井上康明
国生みの神の足あと秋の雲 保住敬子(郭公集巻頭)

  • 「舞」第33号平成25年1月10日発行/1000円

岡井省二に師事した山西雅子の主宰する月刊雑誌。瀟洒であるが、若い小川楓子(不思議なことに金子兜太の「海程」にも属している)がいるし、勉強会で「奥の細道」「俳句と鳥」等の研究を進めて発表しているのは地道ながら貴重だ。前の雑誌に比べ指導句会も3つほどしかないが、句会報などを使って丹念に指導を行っている。実は、今回取り上げるのは、この雑誌は家庭の印刷機により手作りで制作し、会員だけに配付しているそうである。ただ年に1回だけ私などのような外部の人間にも寄贈していただく、従って来年まで内容を報告できないのでここに掲げたわけである。俳句の雑誌も多種多様である。

寒の雨傘一本を頼みとし 山西雅子
月にちかづくちかづけるまでゆくよ 小川楓子

  • 「WEP俳句通信」第71号平成24年12月14日発行/857円

ウエップ編集室が発行する総合誌。この号の特集は、「岸本尚毅・坊城俊樹・星野高士――3人かく語りき!!」であるが、ここでは拙著『伝統の探究<題詠文学論>』を長々と語ってくれているのだが、ボロクソである。

坊城:磐井さんは何しろボクたちのことが嫌いだから、すぐ何かっていうと、反伝統、という。
星野:愛情のある嫌い方でしょうね。
岸本:ヘーゲルの弁証法ですね。
坊城:結局、磐井さんとしては自分はどのへんゆきたいのだろう。
岸本:磐井さんは「王国」を超越した「法王」になりたいのかな。
坊城:磐井さんって、評論家になるより、俳人になるほうが面白かったんだよね。
星野:それって、俳人じゃないってこと?俳人だと思うよ、俺は。
坊城:まあ、いいよ。当分会わないからいいんだけど(笑)。
星野:読みでがあるよ。
坊城:よく出来ているけれど、磐井さんの主観的に書かれたところが分かりにくいの。
星野:そこがあるんだよね。
岸本:筑紫さんの文章は、文章の句読点の丸のあと、見えない字で「ナーンチャッテ」と書かれていることがときどきありますよ(笑)。


 
 


  • 「絵空」創刊号平成24年10月15日発行/500円

  • 「絵空」第2号平成25年1月15日発行/500円

中田尚子・山崎祐子・茅根知子・土肥あき子の創刊した俳句同人誌。中堅女性作家たちの出す俳句同人誌は最近流行のようで、先輩格の「星の木」(大木あまり・石田郷子・藺草慶子・山西雅子)や「麟」(山下知津子・染谷佳之子・飯野きよ子・駒木根淳子・野口明子)などがある。「絵空」の場合は総合誌の企画で、吟行を行ったのが機会だそうである。総合誌の行う超結社吟行会はその場限りのものと思っていたがこうした効果もあるらしい。特にそれによって気のあった同士が確認出来たと言うことなのであろう。なまじ男などいないほうがいいのだ。吟行で始まった同人誌だけに創刊号も、第2号も、2回にわたるいわき吟行特集が組まれている。そういえば、相子知恵・関悦史・鴇田智哉・四ッ谷龍たちが俳句創作集『いわきへ』という被災地ツアーの創作作品集(これは雑誌ではない)をまとめていた。こうした冊子を見ることにより少しづつ変化している俳句媒体の姿が見えてくるようだ。「絵空」の場合吟行句とどちらを選ぼうかと思ったが、普通作品から抄出することにする。

創刊号

白日傘町の抜け道知り尽くし 中田尚子
蛇楽しト音記号になつたれば 山崎祐子
小説は真ん中あたり小鳥来る 茅根知子
虫売のしづかにものを食みにけり 土肥あき子

第2号

福島の福ふつくらと筆はじめ 山崎祐子
先生が歩いてゆきし恵方道 茅根知子
雑炊を吹きくたびれてしまひけり 土肥あき子
何もかも酢橘をかけて誕生日 中田尚子

  • 「ジャム・セッション」創刊号2012年8月20日発行/非売品

  • 「ジャム・セッション」第2号2012年12月28日発行/非売品

「戦後俳句を読む」の<文体の変化【テーマ:極限で短歌と俳句を詠む】>で触れた江里昭彦と中川智正の出す同人俳句雑誌である。創刊の経緯を江里は「被告のころ(まだ確定死刑囚ではないという意味。筑紫注)からすでに短歌・俳句の実作を試みていた中川氏は、私との面会が不可能になる直前、歳時記の差し入れを希望した。それを、これからも継続して詩歌を作りたいという意思表示であると理解した私は、最後の面会において、二人だけで同人誌を出そうと提案した。氏は了承した。」と語るばかりである。ちなみに予備知識として言っておくべきは、江里は京都府立大学の学生課に勤務し、そこに大学祭実行委員長として中川智正がしょっちゅう出入りしていたのだということである。

いずれにしても、江里自身、確定判決後面会の機会を失った中で、相手の現状をよく掴めない者同士が、打ち合わせなしで行う即興演奏めいたものになる、と言う理由で「ジャム・セッション」と名付けられた。

すでに中川智正の俳句作品は「戦後俳句を読む」の方で触れたのでここには取り上げない。江里とゲスト俳人の作品をあげることにする。

この椎も春を聴くかや顔寄する    江里昭彦
恍惚としている海の虹を消せ
草雲雀頭蓋に蒼き夢茂り       齋藤慎爾
水澄みて<フクシマ>帰るところなし 望月至高

なお、第2号からは中川の「私をとりまく世界について」の連載が始まった。確定死刑囚がどのような情報環境のなかにおかれているかを詳細に伝える。基本的には、我々の想像を絶する極めて厳しい条件下にあるのは間違いない。「交流者」という不思議な言葉がこれら情報環境のキーワードとなっている。外部の情報はもちろん、中川から外部への情報も極めて限られた状況であったという。唯一の例外は、アメリカの軍人がアルカイダのテロ対策に資する目的で情報を集めに来た時で、この時は拘置所側の特別な許可がおりたという。ぞっとする話である。

一方で不思議なのは、このような厳しい状況の中で、その厳しい状況を語る「私をとりまく世界について」が何故公表されているのかである。当然、「検閲」「抹消指導」が行われているわけである。中川が意図しているものと、私がこの雑誌で読むものとはずれているにちがいない。この文章を読みながら、「検閲」「抹消指導」の向こう側にある中川の意志をわれわれは想像しなければならない。











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